2018年05月21日

かえり道でみかけた 子ネコとサル

仕事あと、夕ごはんの材料をかおうと
スーパーへの道をいそいでいたら、
小学生くらいの女の子がブロック塀をのぞきこんでいる。
ほそい路地で、ブロック塀のすぐむこうは一軒家だ。
わたしがとおりかかるのに気づくと、となりの家へはいっていった。
きっとそこが女の子の家なのだろう。
わたしがブロック塀にさしかかると、ネコのなき声がきこえた。
子ネコ特有の、かぼそくて、たかい声だ。

わたしがブロック塀ごしにのぞきこむと、
生後1ヶ月くらいの子ネコがみえた。
でも、ひとがこわいらしく、すんなりはでてこない。
お母さんネコをさがしているのか、
お腹がすいてたまらないのか、
ひっきりなしになき声をあげる。
そのうち、女の子がまたもどってきた。

女の子にようすをたずねると、
ゆうべからネコの声がきこえるようになったそうで、
そのときは、お母さんネコもいたという。
女の子も、子ネコが気になるけど、
家でかうわけにはいかないらしい。
ひとをおそれるので、わたしも家につれてはかえれない。
すこしかんがえてから、ちかくのコンビニへいき、
ネコのエサをかってこようときめた。
まだ固形食はたべれないかもしれないけど、
ものはためしだ。

コンビニで3種類のエサをかい、
そのうちの2つを、子ネコのいた場所においてみる。
ものすごくお腹がすいていたようで、
じきに子ネコは姿をみせ、エサをなめた。やがてたべはじめる。
あしたもまたこの道をとおり、子ネコの無事を確認しよう。
エサだけをあたえて役にたった気になるのは、
偽善的で、余計なお世話かもしれないけど、
わたしにはせいいっぱいの対応だ。
すべてのネコがしあわせであってほしい。
信念というほどつよくはないけど、ねがってはいる。
子ネコがどこかへ旅にでるにしても、そこにとどまるにしても、
お腹いっぱいになって、こころやすらかにねむってほしい。

スーパーでのかいものが、子ネコのエサやりでおそくなった。
かいものをすませ、いそいで家への道をあるいていると、
道路のまんなかで、ネコが毛づくろいしている。
とおもったら、サルだった。まだ子どものようだ。
サルがカエデの葉っぱをくわえてウロウロしている。
このところ、市内でサルをみかけると、
きょうと、なんにちかまえの2ど、新聞にものっていた。
保育園の庭にあらわれて、子どもたちをこわがらせたらしい。
わたしがであったサルも、わたしをみてもまったくにげない。
わたしが手にしている かいもの袋が気になったのか、
こっちにむかってきて ちょっかいをだそうとする。
わたしはかいもの袋をふりまわして おっぱらった。
近所のひとたちもちかくにあつまってきて、
興味ぶかそうに サルのうわさ話をしている。
ひとをおそれないサルは、わたしもこわさをかんじた。
子どもあいてだと、おそったりするかもしれない。
これまで町なかでサルをみたことなどないのに、
なぜきゅうに サルがあらわれるようになったのだろう。

子ネコへはエサをあたえ、サルにはつめたくする。
正反対の対応とはいえ、
サルにたべものをあげるわけにはいかないだろう。
だったら、なぜ子ネコだとゆるされるのか。
サルは、わたしの論理的な欠陥をみぬき、
堂々とたべものを要求したのかもしれない。
それともただあそびにさそったのか。
サルもわたしも、あいてがどううごくのか よくわかっていない。
正確な知識なしでの異文化交流は、
あまりいい結果をまねかないだろう。
おたがいの生活圏をおびやかさないいつきあい方が
いちばんおだやかに共存できる方法だろう。
サルがもうしでてきた交流のさそいを、
人間はうけとめる準備ができていない。

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posted by カルピス at 21:42 | Comment(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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