世界のなかで日本は、やすくておいしい食事ができる国らしい、
というはなしになった。
朝日新聞に、そんな内容の記事がのっていたのだそうだ。
きいていると、わたしもその記事をよんだような気がする。
ただ、はなしの大筋はあっているものの、
ところどころ会話がかみあわない。
しりあいがわたしにはなす内容は、
わたしがよんだ記事よりも、具体的な説明がおおい。
わたしのよみかたがあさかったのかと、すこしひっかかった。
家にもどって最近の新聞をひっぱりだし、たしかめてみる。
わたしたちがはなしていたのは、
べつのひとがかいた ふたつのコラムだった。
わたしがよんでいたのは、後藤正文さんによる連載のコラムで、
しりあいがはなしていた記事は、小熊英二さんの論壇時評だ。
どちらの記事にも、日本は
やすくておいしい外食ができるとかいてある。
後藤さんは、欧米の国とくらべ、
小熊さんは欧米の大都市、さらに香港やバンコクでさえ、
ランチが千円するのがあたりまえになっている、と紹介している。
ふたりの著述家が、ほぼおなじ時期に話題としてとりあげるほど、
日本の食事はやすくておいしいというのが、
いまや世界の常識になっているらしい。
香港やバンコクでもランチ千円が当然になりつつある。だが東京では、その3分の1で牛丼が食べられる。それでも味はおいしく、店はきれいでサービスはよい。(小熊英二・「安くておいしい国」の限界)
小熊氏の論旨は、
私は、もう「安くておいしい日本」はやめるべきだと思う。
にあるけれど、ここでは食事の値段だけにはなしをしぼる。
日本の食事がやすいといわれて、わたしは意外な気がした。
全国展開のチェーン店はともかくとして、
外食がやすくすむのは大都市にかぎったはなしではないか。
わたしがすんでいる町では、
ランチに千円ちかくかかるのがふつうだ。
需要がすくないので、価格競争がおきないのだろう。
そして、わたしがバンコクで食事をすると、
安食堂にしかはいらないので、500円もかからない。
でも、おそらくわたしの感覚がずれているのだろう。
こじゃれた「ランチ」を香港やバンコクでたべれば、
1000円ぐらいするのは よくわかる。
そういうお店が、旅行者だけでなく、
一般市民にも人気があるのだろう。
アジアの国々から日本にきた旅行者が、
値段を気にしながら食事やかいものをするのではなく、
あたりまえのようにお店にはいり、
ためらいなくお金をつかうのをみると、
世界はずいぶん均一になったものだとおもう。
アジアを旅行している日本人が、円のちからをたよりに、
やすいやすいといい気になっていた時代より、よほど健全な姿だ。
わたしがフィリピンではいった、
10代のわかものがよくいく喫茶店では、
コーヒー一杯をのんでも、日本よりすこしやすい程度の値段、
つまりかなりたかい価格設定だった。
ケンタッキーフライドチキンだって、それなりの値段がする。
そうしたお店に ふつうの感覚ではいれる市民層が
いまやぶあつく存在するようだ。
もちろんそんなお店にはいれない
まずしいひとたちもいるのだろうけど、
わたしがおもっている以上に
世界の同質化がすすんでいるのではないか。
日本が値段をあげないで我慢しているうちに、
アジアの国々がおいついてきたのかもしれない。
旅行していいると、日本よりすこしやすいくらいの物価の国が
気らくにすごせてちょうどいい。
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