体重は、2倍以上になり(1.8キロ)、
いたずらのかぎりをつくし、げんきにはしりまわっている。
だきあげて顔をちかづけると、
ココがたてるゴロゴロという音がきこえる。
さみしかったり、おなかがすくと、かぼそい声でなき、
あそびつかれると、だっこをもとめてふかくねむる。
これまでいっしょにくらしたネコは、
そのぜんぶとはいわないけれど、
カルピスもピピも、ものすごくあまえてくれ、
わたしとは、おたがいにべったりの
依存した関係ができていた。
それがいいかわるいかは、ひとによってとらえ方がちがうとしても、
わたしがこうあってほしいとねがう性格に
どのネコもそだってくれた。
自慢ばなしにきこえたら もうしわけないけど、
かわいがり、ほめちぎれば、
ネコはそのとおりにそだつような気がする。
かわいいねー、おりこーだねー、と
あそびながら なんだかんだと かわいがらているココは、
ネコというよりも、人間のちいさな子どもみたいな表情をみせる。
デイリーポータルZの再放送記事で、地主恵亮さんによる
「猫100匹・島民15人の島に行く」がのった。
http://portal.nifty.com/kiji/140403163726_1.htm
わたしは、たしかまえにもこの記事をよんでいるのに、
いまみてもすごくインパクトがある。
日本にいくつかある猫島のなかで、
地主さんがとりあげた愛媛県青島は、
かなり印象がつよい。
ネコがいる島、という域をこえ、
ネコがうじゃうじゃむれている風景は、
のどかとか、かわいいとかいうレベルではなく、
池でおよぐコイのむれが、
エサにむらがったときのように迫力がある。
姿としては、神社で豆にむらがるハトの群みたいだ。
ハトだからのどかな風景におもえるけど、
これがネコとなれば1匹1匹の存在感はうすく、
どうしても群としてとらえてしまう。
ココがもし、こんなネコだらけの島につれてこられたら、
ネコとしてどんな一生をおくるのだろうと、ふとおもった。
人間にべったり依存するネコとしてではなく、
ネコのなかまにきたえられて、
たくましいネコにそだつのだろうか。
ひとにそだてられたネコは、なんとなく
自分がネコだとおもってないような顔になり、
その一方で、のらネコとして生きているネコは、
自然とネコらしい表情を身につける。
いろいろかんがえたすえに家につれてかえり、
ひとりだけのネコとして、わたしの家でくらすココと、
うじゃうじゃむれながら青島でくらすネコたち。
人間の子みたいなココをみなれたわたしには、
青島のネコたちが、ネコの顔にしかみえない。
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