ゴムとはよべないまでのびきって、
まったく役をはたさなくなっていた。
人間を、2種類のタイプわけたがるひとがいるけど、
わたしにいわせると、
世のなかは、ズボンのゴムをいれかえたことのあるひとと、
ないひとの2つのタイプしかいない。
かえたことのないひとには、
これがどういう作業となるのか、
ほんとうの意味において 絶対にわかっていない。
ゴムをいれかえるときの ただしいやり方は、
おそらくふるいゴムをとりさるまえに、
ふるいゴムひものはしと、あたらしいゴムひものはしを
かんたんにぬってから とりかえの仕事をスタートさせる。
そうした下準備により、ふるいゴムひもをひっぱれば、
スルスルとあたらしいゴムにいれかわる。
そんなことはわかっているけど、わたしはめんどくさいので、
ゴムひもどおしを安全ピンでとめた。
いくぶんこころもとないかんじだけど、
ズボンを一周するくらいの負荷にはたえられるだろう。
でも、だめだった。
ちからをいれてふるいゴムをひっぱると、
かんたんに安全ピンがとれてしまい、
あたらしいゴムがズボンのなかにのこった。
つぎは、厳重に安全ピンをとめる。
かなりのちからがかかっても、これならはずれないだろう。
安全ピンを先頭にした、ゴムひもの旅がようやくはじまった。
でも、これがなかなかまえにすすまない。
ゴムの幅がひろすぎて、抵抗がおおきいため、
ちからをいれてゴムひもをひっぱると、またとれてしまいそうだ。
ほんのすこしずつ安全ピンをまえにおくりだし、
クシュクシュになったゴムを 指でしごいてまっすぐになおす。
ぜったいに、あせってはならない。
もしとちゅうで安全ピンがはずれたら、
はじめからやりなおしとなる。
わたしはこの仕事を、「村上RADIO」をききながら、
すこしずつすすめていった。
意識をものすごく集中させるほどでもないけど、
なにもきこえないのはたいくつで たのしくない。
村上春樹さんが、なにかのエッセイで、
「スパゲティ小説」という概念を提唱している。
スパゲティをゆでるときにぴったりな小説、という意味だ。
小説のできをけなしているわけではなく、
スパゲティをゆでているあいだも、
よみつづけたくなるほどおもしろい小説、
という意味だったとおもう。
スパゲティ小説に対応するのが「ゴムひもラジオ」だとおもった。
これはゴムひものとりかえという、かんたんそうで、
じつは繊細かつ忍耐がもとめられる仕事をつづけるときに、
適切なつよさで手だすけしてくれるラジオ番組をさす。
「村上RADIO」は、まさしくゴムひもを
とりかえるときに最適な番組だった。
やっとゴムをつけかえたパジャマのズボンは、
いちど洗濯したら かんたんにほどけてしまった。
ズボンにゴムがなければどうしようもないのに、
いっけんかんたんにみえるゴムひものあつかいが、
こんなにも融通のきかないのはなんでだ?
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