『ここは退屈迎えに来て』がおもしろかったので、
ほかの作品をよんでみたいとおもっていた。
この本は、タイトルどおり山内マリコさんが
かいものした品じなを、週刊文春に連載したエッセイだ。
のっけからものすごく俗っぽい言い方でいやになるけれど、生きることは、買い物することである。(中略)ちょっと大げさに言えば買い物へのスタンスは、そのまま生き方に直結する。
たしかに。
たかいもの、有名なお店の商品をかったと、
自慢ばなしをよまされるのはたのしくないけど、
この本はいやみなくかかれていて すんなりよめた。
山内さんがかいものにむけるスタンスは、
「多少値ははっても、ずっと使えるいいもの」であり、
すこしたかいけど、つかいやすそうな品が
きまえよく紹介されている。
それに、わたしがいうのもなんだけど、文章がうまい。
オードリー・ヘップバーンが『ティファニーで朝食を』で着ていたジバンシィのカクテルドレスが、リトルブラックドレス史上もっとも有名な一着とされる。何連にもなったパールとティアラを合わせた姿は、そのままアカデミー賞にでも行けそうなくらいゴージャスだ。
お金を払って買うという行為は、ただの「消費」以上に、製作者に対する「応援」でもある。(中略)
さて、そういう「応援力」がもっとも発揮されるのは、自分のテリトリーにあるお店で、気に入った商品(主に食べ物)を見つけたときだ。店側に商品を仕入れつづけてもらうために、「熱心な固定ファンがここにいますよ!」と全力でアピールする(買う)。この瞬間、わたしはもはやただの「消費者」ではない。立派な「後援会の人」である。
ところで、女子がいきなりプロレスに興味を持ちはじめたら、そこに井伏幸太あり、である。まじめなプロレスファンの男性からは顰蹙を買いそうなチャラい動機であるが、すまんがそういうことなのだ。
連載の初回でプラダの長財布をかった山内さんは、
それにしても、約9万円とは相当高額である。財布ってこんなに高いものなかとビックリした。そして高揚した気分でお店を出るなり、心中こうつぶやいたのだった。
「仕事がんばろう・・・」
ここで、「仕事がんばろう」とおもうか、
こんなにたかいものをかうために、
たくさんはたらくのはいやだ、とおもうかで
ひとの道はきまる。
すこしはたらいて、そこそこのものをかおうとするのがわたしであり、
そうした商品のあつまりがわたしを形づくっている。
なので、しょぼいみてくれは、わたしの人間性そのままだ。
57歳にもなったいま、いまさらあともどりも、軌道修正もできない。
このまま死ぬまでケチで貧乏な小市民をつらぬくしかない。
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