死なないまでもひどい状態、
たとえば自分ではすべての判断をあらわせなくなり、
管につながれたまま死ぬまですごさなければならない、とか、
ひどいいたみに ずっとなやまされたり、
お金がとぼしい状況で、病気と借金をかかえながら生きるとか、
トホホな姿の自分を想像すると、
生きるよりも死んだほうが楽におもえる。
死ぬのはこわいけど、ひどい状態で生きるよりましかもしれない。
できるだけじゅうじつした医療をもとめ、
すこしでもながいきするのが ひとのつとめ、
というかんがえ方もあるかもしれないけど、
もっとおだやかに死をむかえられる
こころのもち方をわたしはねがう。
じっさいに深刻な病気をわずらい、死を宣告されたら
こんなにすましたことはいっておれないかもしれないけど、
週刊誌のみだしなどが、ながいきや健康をとりあげ、
そのままでは はやく死ぬよと おどかすのをみると、
なぜそんなにながいきしたいのか不思議になる。
老人になっても健康なままくらせるかどうかはわからない。
可能性からいえば、マヒをかかえたり、
医療費や生活費のやりくりにこまる老後がまっているかもしれない。
ながいきだけでなく、すんなり死をうけいれられるかんがえ方を
おしえてくれたらいいのにとおもう。
中年になったわたしは、あちこちに故障をかかえはじめた。
これが老人となれば、もっと深刻な事態が いくらでもおこりえる。
そんな目にあうなら、ながいきするより、
そこそこの時期に死ねたらいい。
こんなかんがえになったのも、自分が歳をとったからで、
わかいころは死なんて リアルにはかんがえたことがなかった。
もうそろそろ死んでも、とおもえるのは、
歳をとり、死への準備ができつつあるのかもしれない。
死ぬのがこわいのは、だれでも死ぬのははじめてであり、
なにがまっているかわからないからだ。
それに、この世から自分がいなくなる恐怖。
でも、ひどい状態で生きつづけるよりも、
死ぬときがきたら あっさり死をうけいれられたほうが
おだやかな気もちですごせそうだ。
ながいきしなければ、老後はもっとシンプルになる。
動物たちは、死ぬまで生きようとする。
生きるのが自分のやくわりだからだ。
自分では死なないけれど、
死がやってくればすんなりうけいれる。
人間がながいきにこだわるのと ずいぶんちがう。
ひとが生に執着するのは、そんなにむかしからではなく、
あんがいあたらしいかんが方かもしれない。
ひとのいのちが、あまりかるい時代はいやだけど、
現代のながいき願望もまた、極端にむかいすぎている。
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