お母さんネコと子ネコがやってきた。
帰省ちゅうだった妹さんがごはんをあげると、
子ネコはだんだんなれてきたという。
そろそろ家へもどらないといけない、というときに、
妹さんは子ネコを病院へつれていき、
予防注射やシャンプーなど、1万円以上かけて
きれいにしてあげたそうだ。
そうやって、せっかく生きるベースができそうだったのに、
お母さんネコが人間のちょっかいをきらい、
子ニャンコをつれ どこかへひっこしてしまった。
せっかくお金をかけて きれいになったのに。
そういえば、わたしの家を、出産の場にえらんだ母親ネコがいた。
それまでごはんをあげたこともない のらネコなのに、
部屋においてあるコタツのなかが気にいって、2匹の子をうんだ。
ひとけのないものおきなどで出産するならわかるけど、
しらない部屋にはいってきて、
コタツのなかを出産の場にきめるなんて、
いったいなにをかんがえているのだ。
安全だとおもってコタツのなかをえらんだのに、
やがてべつののらネコが子ネコをねらい、部屋にはいるようになり、
危険をかんじた母親ニャンコは、子ネコの頭をくわえて、
となりの部屋にあるコタツへひっこした。
わたしの家を、ここなら大丈夫、
とおもってくれたのはありがたいけど、
しらない家を出産の場にえらぶなんて、
ずいぶん大胆な判断におもえる。
それに、のらネコが子ネコをねらうというのも、
まるで野生でくらす動物たちみたいな、弱肉強食の世界だ。
出産は、そして生まれたばかりの子ネコをかかえたくらしは、
母親ネコにとって それだけ危険にみちた時期なのだろう。
いっぽうの 子ネコをねらうのらネコには、
出産が すなわちごちそうを意味するにおいとなる。
だからこそ、母親ネコは安全をもとめ、わたしの家をえらんだ。
それにしても、のらネコがなん匹も わたしの家をではいりするなんて、
むかしは うじゃうじゃと、たくさんの のらネコがいたのだろうか。
わたしの家で生まれた2匹の子ネコが、
そのあとどうなったのか、おぼえていない。
おぼえていないくらいだから、きっとすぐにでていったのだろう。
とおいむかしの かすかな記憶として、
コタツのなかで2匹の子ネコが生まれたと、
それだけが かろうじてひっかかっている。
いざとなったら、ひとの家にはいって 子どもをうむ、
母親ネコの大胆さがつよく印象にのこった。
しらない家を出産の場にえらんだ
母親ネコならではの直感がすばらしい。
人間の世話になろうとはすこしもおもわず、
ただ場所だけを利用するなんて、すごくクール。
こうした体験がかさなり、わたしのなかで無意識のうちに、
すこしずつネコの世界をひろげていったのだろう。
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