タイトルからして「あやしい探検隊」のシリーズかとおもっていたら、
これまで本にしなかったエッセイのよせあつめだった。
よせあつめ、というと、玉石混交で、雑な一冊におもえるけど、
この本はあたりだった。
おおくの椎名さんエッセイをよんでいるわたしにも おもしろくよめた。
椎名さんが雑誌に連載したエッセイは、だいたい本になるけど、
単発や、みじかい連載のエッセイが
本にならないまま ずいぶんたまっていたという。
量にすると、単行本三冊くらいになっていたので、
終活のひとつとして、それらのエッセイをよみなおし、
いいものだけをのこすこころみにより、この本がうまれている。
・ふつうのエッセイ
・むかしのおもいでばなし
・旅行もの
と、いくつかのジャンルわけられている。
「フォークランドで見たペンギンのケンカ」がおかしかった。
向かいあった二羽が交互に相手を攻撃している。攻撃といってもペンギンのパンチはその小さな羽根しかないのでそれでパンパンパンと相手の羽根のあたりを叩くだけだ。すると相手は上を向いて何ごとか「クエッケッケッケー」というような声で叫び、自分がされたのと同じように相手をその小さな羽根でパンパンパンとたたく。しかしお互いにダメージは少ないのでその喧嘩は決定打のないまま果てしなく続くのである。
猛獣が本気でケンカをすると、ひどいケガにむすびつく。
人間でもそうとうやっかいな局面をむかえかねない。
でも、ペンギンだけは、いくらケンカをしても、
人畜無害のままいつまでもつづくというのが、
おかしいような、かわいそうなような。
「自動執筆装置」へのあこがれも興味ぶかい。
「自動執筆装置」とはなにか。
英文タイプライターのように、
かろやかに文章をかく道具のことで、
椎名さんは欧米の作家が タイプライターをつかって
かろやかに文章をかいていくのを
うらやましくおもっていた。
アルファベットという少ない文字ですべてが表現できる言語圏の文章作業の効率のよさ、というものを初めて強烈に意識した。漢字というものがなく、アルファベットの26文字だけでとにかくすべてが済んでしまう、というシステムに激しく嫉妬した。
という率直な感想がするどい。
タイプライターへのあこがれは、
表記問題への意識とつながっている。
その後、日本でワープロ、
そしてパソコンがつかわれるようになっても、
椎名さんはそれが本質的な「自動執筆装置」でないのをみぬいている。
なんとなくわかっているのだ。英文タイプライターは機械そのものである。(中略)タイプライターを前にして苦悩の表情を浮かべているのは絵になるけれど、ワープロを前にして苦渋に満ちた顔をしても、どうもこれははなからサマにならないというのはよくわかる。機能は英文タイプライターより優れているのかもしれないが、やはりワープロというのは別次元で発達してきた機械なのであり、同一には並び称されない世界なのであろう。
パソコンで日本語をかくのがあたりまえとなったいま、
パソコンのまえで「苦渋に満ちた顔」をしても
とくにサマにならないとはおもわないけど、
英文タイプライターにはげしく嫉妬した世代がかんじる
ことばをかろやかに機械でかく 自由へのあこがれが
わたしにはよくわかる。
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