連続100回ができなければ、
たとえば80回プラス20回というふうに、
とにかく合計で100回をこなす。
ほぼ日手帳にメモした記録をみると、2016年の7月に
意識して毎日うでたてふせをするようになった。
それまでも、ときどきはやっていたけど、
2016年の7月をさかいに、いちにちのうち、
いつでもいいので、うでたてふせにとりくんでいる。
はじめのころは70回しかできなかった。
半年ごとにじわじわと10回ふえ、
2017年の11月に、なんと16年ぶりで 連続100回ができた。
ただ、そのあともけして毎日100回連続ができたわけではなく、
できたり できなかったり、安定しない状況がつづいていた。
体調をくずしたりすると、いっぺんに回数がおちてしまう。
そして、いったん数がこなせなくなると、
もとにもどすのは すごく日数がかかる。
そんな状態がずっとつづいていたのに、
10月23日に連続100回をこなしてからきのうまで、
1ヶ月ちかく、毎日うでたてふせが連続100回できている。
なにかが わたしのなかで かわったみたいだ。
まえは、連続100回といっても、90をすぎてからは、
1回いっかいをしぼりだすようにしての、ヘロヘロな100回だったのに、
いまではすんなりと、あぶなげなく100回をこなせている。
100回を意識するあまり、自分で壁をつくっていたのだろう。
ヒラリー=クリントン氏がガラスの天井にくるしんだように、
うでたてふせ100回を、自分にはたかすぎる目標だと
わたしの脳がかってにブレーキをかけていたようだ。
毎日さほど苦労せずに100回ができるようになると、
できなかったころが不思議におもえてくる。
マラソンでいうと、4時間がきれずにくるしんでいたランナーが、
いちど4時間の壁をやぶると、あとは安定して
3時間台ではしれるのとよくにている
(わたしはサブ4ランナーではないけど)。
さらにいえば、いちど自転車にのれるようになったら、
そのあとは無意識にからだをうごかしても、
かんたんに自転車をあやつれるのともよくにている。
うでたてふせのような筋肉にはたらきかける運動が、
筋力よりも反射神経や意識の問題というのがおもしろい。
うまくいくようになった要因として、ひとつおもいうかぶのは、
まえは「毎日やる」といいながら、
つかれていたり、やる気がでないときは、
ま、きょうはいいか、と、
けっこうすんなりおやすみにしていた。
それを、体調がよくてもわるくても、いいわけしないで、
かならずうでたてふせにとりかかるようにしたのが
いまおもえば よかったのかもしれない。
ほぼ毎日と、ぜったいに毎日とでは、
つみあげられる成果に おおきなちがいがある、
というのが今回の結論だ。
自分でかいていて、にわかにしんじがたいけど、そういうことになる。
ほんとうだろうか。
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