2018年12月02日

『タネをまく縄文人』(小畑弘己)

『タネをまく縄文人』(小畑弘己・吉川弘文館)

縄文時代に農耕、とくに稲作が
すでにおこなわれていたかどうかに興味がある。
縄文文化とかさなるようで、
照葉樹林文化のはなしもすきだ。
縄文時代の稲作や、照葉樹林文化は、
いまでは決着がついているそうだけど、
専門的すぎて、わたしにはよくわからない。
ばくぜんとした理解のまま、縄文時代があいかわらずすきだ。

作者の小畑氏によると、縄文人はダイズをそだてていたという。
と、ここでなにげなく「縄文人」とかいたけど、
「縄文人」という表現は定義がむつかしく、あいまいなので、
「縄文時代の人」というほうが正確らしい。
それでも著者は、あえてわかりやすく「縄文人」だったり、
「農耕」「栽培植物」など、一般的に
なじみのあることばをつかってくれる。
とにかく、縄文人は、ダイズを栽培していた、
と小畑氏はかんがえている。
縄文人というと、狩猟採集により
たべものをえていたひと、というイメージがあるけど、
農耕にも彼らはとりくんでいた。

かんがえてみると、
成人男子がいちにちに必要といわれる2000カロリーを
狩猟採集によってとりいれるのは、そうかんたんではない。
わたしたちがもし無人島になげだされたとしたら、
どうやって必要なカロリーを確保するだろう。
山には植物がたくさんはえているといっても、
そのどれもをたべられるわけではない。
いまのわたしたちは、お金をだせばなんでもかえるからこそ、
食料生産にかかわらない仕事についたり、
やすみの日にのんびりくつろいだりできる。
狩猟採集だけで安定したくらしをつづけるのは
自然からのめぐみが、よほどゆたかでないとなりたたない。
魚がたくさんいる川があり、貝をたくさんひろえる海があり、
山にはクリやドングリがたくさんなっている土地。
そんなゆたかな土地でも、そこでくらせる人間の数は、
おのずと手にはいるたべものによって制限される。
農耕により、安定した収穫をえようとするのは、
自然のながれにおもえる。

縄文時代に生きたひとびとは、
おおきなタネをえらんで「畑」にまき
収量がおおく、あつかいやすい栽培植物へと、
すこしずつ改良をかさねていった。
縄文時代は、原始的なくらしのイメージがつよいけど、
すでに高度な技術をつかいこなしていた時代のようだ。
本書にざっと目をとおしても、
縄文時代にたいするわたしのイメージは、
あいかわらずあいまいで、ばくぜんとしている。
それでも、高度な農耕をすでにはじめていたという著者の説は、
縄文時代や照葉樹林文化といった、
夢ものがたりのすきなわたしをよろこばせてくれる。

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posted by カルピス at 21:17 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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