でかけようとしているときに、電話がなりだした。
同居している母の電話だ。
母はるすだったので、ほんらいなら
わたしが電話にでて要件をきくべきなのだけど、
めんどくさいので そのままなりやむのをまった。
どうせ、ややこしいセールスからの電話だろう。
でも、いつまでたっても電話がなりつづけている。
それまで ほっておいたのだから、
いまさら「もしもし?」なんて電話にでれない。
これだけしつこくベルをならすのは、
よほどの緊急事態なのだろうか。
なりやむのをまつわたしと、
受話器をとるのをまちつづけるひととの、
意地のはりあいみたいな緊張の時間がしばらくつづいた。
けっきょくわたしがかち、電話はようやくなりやんだ。
わたしはいやなかんじをかかえたまま家をでる。
もし緊急の連絡だったとしたら、
ひどいことをした(しなかった)ことになる。
でもまあ、ほんとうの緊急事態であれば、
なんとか母にしらせようと、
そのあともまた電話がかかってくるだろう。
家にもどった母が、おそかれはやかれ内容をしるわけだから、
あとでどんな電話だったかおしえてもらおう。
それにしても、あれだけながいあいだ
ベルをならしつづけるのは、そうとう大切な内容だったのだろう。
もし緊急事態でないとしたら、かなり問題のある人物だ。
わたしが夕方に家にもどっても、
電話について母はなにもいわなかった。
こちらからもたずねなかったので、
電話がかかってきたかどうか、かかってきたとしたら、
どんな内容だったのかはわからない。
わたしになにもいわないのだから、
緊急事態でなかったのはたしかだ。
なんということのない内容の電話だったとしたら、
あれだけベルをならしつづけるのは
どんな神経のもちぬしなのだろう。
ただのセールスだったなら、わたしがでなかったのは正解で、
母の友だちだったとしても、わたしがでなかったのは正解だ。
緊急事態でなくてよかったと安心し、
電話の対応のむつかしさと奇妙さをしる機会となった。
この件の教訓は、電話がしつこくなりつづけても、
きっとたいした要件ではないので、でなくても大丈夫、だ。
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