まったく意識しないまますぎていた。
日本を出発するまえに、タイのクリスマスについてたずねられ、
クリスマスをひとりですごすのは、
旅行ちゅうといえどもさみしいかなー、
なんてはなしていたけど、じっさいは
クリスマスをわすれていたので、
ひとりぼっちをかんじないですんだ。
町をあるいていても、タイにはクリスマスの気配がない。
日本はなんであんなにクリスマスがおおきなイベントなんだろう。
とはいえ、イブに配偶者からメールがとどいたとき、
せめて「よいクリスマスを」ぐらい かけばよかった。
高校のころから基本ひとりですごしてきたといい、
「非リア充」にくわしそうな地主恵亮さんが
「リア充とはなにか」をといかけている。
「クリぼっちでも無問題?
『リア充』とは何かを再定義してみた」
https://kindaipicks.com/article/001614
リア充に「リア充とは?」と聞くと、いろいろな意見があったけれど、まとめると「やりたいことがやれている」ということで、「恋人の有無は関係ない」ということになる。これがリア充によるリア充の定義なのだ。
非リア充から見れば、リア充とは恋人がいることなのだ。
でも、何人かの学生にインタビューしているうちに、
地主さんの「リア充」定義はゆらいでくる。
旅行していると、おおくの旅行者は
仲間や彼女とすごしており、「リア充」にみえる。
ひとりの旅行者もいるけれど、目だたない。
旅行という、非日常の場面でも、
「リア充」にみえるかどうかは、日常生活とおなじだ。
わたしはいま、計画どおりに旅行し、
充実した時間をすごしているはずだ。
でも、それが「リア充」かというと、あまりその実感はない。
そもそも「リア充」ということば自体が
あまりにもあやふやな定義のまま
生きのびてしまったようにおもえる。
地主さんによる「リア充」再定義のこころみは、
はたして目的をはたせただろうか。
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