寒中みまいの形で手紙をだしている。
年末年始に旅行している年がおおい、という理由だけでなく、
年賀状が元旦にとどくように
ちゃんと準備できないための寒中みまいだ。
おくれて返事をかく年賀状よりも、
寒中みまいのほうがいいわけできるような気がする。
ことしもまた、旅行へいっていたので、
あとから手紙をかこうとおもっていたけど、
なかなかおもい腰があがらない。
4日には、日本にもどっていたのだから、
はやく返事をかけばいいのに、その気になれない。
返事といったって、ほんの10通ほどの数だ。
それも親戚からの賀状が半分をしめるので、
コピペすればたいした手間ではないのに、
なにかがわたしのやる気を邪魔している。
形式だけでしかない、つまらないやりとりなので、
ますますめんどくささがさきにたつ。
わたしがはたらく事業所のお客さんに、
客商売をしているひとがいて、
このまえあったときに、
「ことしは年賀状をあきらめました」
とはなされた。
150通ほどの年賀状を
いつもならお得意さまにだすのだけど、
ことし(というか、きょねん)はあまりにいそがしくて、
とうとうぜんぶやめることにしたらしい。
客商売をしていて、年賀状をださないのは、
かなりの決断だったのではないか。
ひくくにながされやすいわたしは、
そうか、その手があったかと すぐにとびついた。
わたしも、寒中みまいをやめてもいいのでは。
しりあいがやめたのは年賀状であり、
寒中みまいではないけれど、
そこらへんはちゃっかりすりかえる。
どうせ形式だけのつまらない手紙だ。
客商売をしているひとが 覚悟をきめて
年賀状をやめるのだから、
わたしも世間体など気にかけず、
このさい さっぱりとやめる時期かもしれない。
寒中みまいは、立春(2月4日)までにだせばいいらしく、
まだあきらめるのは、ほんとうは はやすぎる。
でも、親戚との距離感をきっちりとるために、
年賀状も寒中みまいもやめ、
つきあいのわるいやつとしての立場を確立するべきかも。
ちかい将来、母親がなくなったとき、
親戚との関係がうすければ、
母の葬儀は身内だけですませましたと、
いいのがれしやすいのではないか。
ことし返事をださなければ、らいねん年賀状はこないだろう。
ことしだけ我慢すれば、このさきずっと楽ができる。
ネットで「年賀状 やめる」を検索すると、
いくつもの記事がひっかかる。
年賀状をやめる側にも、それなりの論理があるようだ。
身内だけの葬式にしたいから、という理由はみかけなかった。
タグ:寒中みまい
スポンサードリンク