2019年02月14日

どうしたら料理がうまくなれるのか

すこしまえのデイリーポータルZにのった、
「2週間 自分の手料理だけで生活したら料理はうまくなるのか?→なった」
がおもしろかった。
https://dailyportalz.jp/kiji/2weeks-teryori
「料理を作る必要がないから上手くなれない」のであれば、「料理を作らなければならない状態」に自分を追い込めば料理が上手くなるずだ。

の仮説のもと、2週間と期間をかぎり
megayaさんは 手料理しかたべない。
自分で食事をつくるようになれば、
それを2週間もつづけたら、
あるていどは料理になれてくるだろう。
ただ、料理になれるのと、
料理がうまくなるのとはべつのことだ。
この記事のタイトルに、(うまく)「なった」とあるので、
megayaさんは目的をはたしたようだ。
でも、食事を2週間よういするだけで、
ほんとに料理がうまくなれるのだろうか。

megayaさんの記事にある写真をみると、
日をおうごとにまともな料理になっている。
ネットでつくり方をしらべるだけではなく、料理の本もかい、
計量カップと計量スプーンをそろえ、
レシピを忠実に再現するようになる。
ひとに料理をほめられる気もちのよさをしり、
だんだんおいしいものがつくれるようになると、
ますます料理がたのしくなっていく。
ダシのとり方をおぼえ、リンゴのコンポートに挑戦し、
さらにはそれをいかして
デザートにアップルパイまでつくるようになる。
この記事は、初心者から料理人へと、一直線にすすむ
すばらしい成功のものがたりだ。

わたしが夕ごはんをうけもつときは、
6品ほどを1時間であたりまえにつくる。
あるていど、料理になれているといえるレベルだろう。
自慢するわけではないけど、
料理をするのはすきだし、たのしいとさえおもう。
だって、自分がたべたいものを
すきなようにつくるだけだから。
ただ、それでたべる側の家族が満足しているかというと、
母はともかくとして、配偶者はかなり露骨に
おいしくなさそうな顔をかくさない。
きっと、ほんとうにおいしくないのだろう。
料理には、センスとともに、
愛情が必要であると、ちまたではいわれている。
わたしの料理は、どのように位置づけられるだろうか。

料理の経験だけは、かなりの数をこなしてきたけど、
自分でも、とくにおいしいとおもったことはない。
要因として、
・おなじ料理がみじかいローテーションでくりかえされる
 つまり、レパートリーがすくなく、
 でも、それでいいんだと、ひらきなおっている。
・おいしい料理をつくろうとする意欲にかける
 レシピどうりにつくらない。
 調味料の分量がいいかげんだし、
 たりない材料はべつのもので代用したりはぶいたり。
・ひとつの料理を大量につくりすぎ、視覚的にうつくしくない
 おでんなど、おおきすぎる鍋に具があふれていて、
 食欲をかきたてられるよりも うんざりしてしまう。

けっきょく、センスと愛情の両方がかけているのだろう。

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posted by カルピス at 21:48 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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