(ピーター=ファレリー:監督・2018年・アメリカ)
いまさらながらの『グリーンブック』。
いい評判をあちこちできき、たのしみにしていた。
黒人のピアニストと、彼にドライバーとしてやとわれた白人が、
1962年という時代にアメリカのディープサウスを演奏旅行する。
ピアニストのドン=シャーリーは、黒人ながら
上流階級にぞくするインテリで、
博士号を3つもっていることからドクターとよばれている。
ドライバーをつとめるトニー=リップは、
ブロンクスそだちのイタリア系白人だ。
運転技術だけでなく、トラブルをうまくまるめこむ
世わたりじょうずなところをかわれ 運転手としてやとわれる。
教養のある黒人と、がさつな白人という、
一般的な立場とは反対のふたりが、8週間の旅をスタートさせる。
おとずれるさきが黒人差別のはげしいディープサウスなのだから、
当然なんだかんだとトラブルがおこる。
ピアニストのドンにたいし、おもてむきは歓迎しながらも、
外にあるトイレをつかうよう さらっといわれたり、
楽屋がせまくるしいものおきだったり、
スーツをつくろうと店にはいっても、試着させてくれなかったり、
ホテル主催のコンサートなのに、
そのホテルにあるレストランにいれてもらえなかったり、
黒人は夜であるいてはいけないと、
警官からいやがらせをうけたり・・・。
映画のはじめに登場してきたトニーは、
どうやったらこんなに
下品な表情ができるのかとあきれるぐらい、
教養のない乱暴ものだったし、
おまけに差別主義者だったけど、
ドンとの旅行をつうじてしだいにかわってゆく。
妻に手紙をかくようになり、窓からみえる景色に、
アメリカのうつくしさを再確認し、
音楽家としてのドクへの敬意がめばえる。
それにしても、トニーのたべっぷりはすごかった。
おおぐい競争で26個のホットドッグをつめこみ、
妻がつくってくれた特大のサンドイッチを
ドクのぶんまでむりやり口におしこみ、
ホテルの部屋では直径1メートルありそうなピザを
2つにおりたたんで、そのままかぶりつく。
ドクもまた、毎晩1本のカティサークを
ストレートでのむほど、ありえない習慣をつづけている。
この映画の教訓は、めちゃくちゃな食生活をしても、
あんがいながいきできるので心配するな、となる
(ふたりとも2013年まで生きたらしい)。
クリスマスの夜、ようやく家にたどりついたトニーは、
家族や一族から歓迎されつつも、どこかうかない表情だ。
「ニガーとはたいへんだったか?」とたずねられたトニーは、
「ニガーはよせ」と相手をたしなめる。
トニーのかわりように、場がしらけた雰囲気になるところを、
奥さんのドロレスが、子どもがテレビにのぼったとか、
テレビの配線で感電したらたいへんだとか、
すごくどうでもいいはなしをもちだして、場をおさめる。
そのすこしあとに、質屋の夫婦がたずねてくる。
「冗談でさそったのに。でもまあはいって、はいって」と
トニーの一族がようこそ、とうけいれていると、
ドンが玄関のとびらから顔をみせる。
「メリークリスマス」というドンに、
みんなは一瞬かたまったけど、すぐに
「さあ彼に席をあけて」と
全員がドンをあたたかくむかえいれる。
ひとりでさみしくクリスマスをむかえるドンが、
トニーの家にきたらいいのに、とおもっていたら、
そのとおりの展開になった。
まったくのハッピーエンドがバッチリきまる。
テレビの配線などのどうでもいいはなしや、
質屋の夫婦を登場させて場をつなぎながら、
ドンが自然にうけいれられる状況をつくった
こまやかな脚本がすばらしい。
アカデミー作品賞だけでなく、脚本賞もあげたい、
個人的にわたしがかってにあげよう、とおもっていたら、
ちゃんと脚本賞もとっていたので安心する。
映画のあとで、夕ごはんにツレと居酒屋へはいる。
こんでいるので、と、ものおきみたいな部屋にとおされた。
デジャビュ、だ。ここはアメリカのディープサウスか。
注文したフライドチキンがとどくと、
メニューの写真とは まったく別なものがでてくる。
あまりのギャップに「これはなんですか?」と
ツレがおもわずたずねたくらいちいさい。
いまの時代にありえない 露骨な差別も、
『グリーンブック』をみたあとでは
むりやりな笑顔で「なかったこと」にできる。
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