黒ときめられないけど、白ともいえない、と判断された。
そういうのって、たしかにある。
まえに村上龍さんの『55歳からのハローライフ』をよんだとき、
映画「真夜中のカウボーイ」のパクリとおもえる箇所があった。
からだの具合がきわめてわるくなっているツレを、
ふるさとの町につれてかえろうと、バスにのる場面だ。
そっくりそのままではないので、
パクリときめられないけど、かといって
パクリでないとは、これまたぜったいにいいきれない。
村上龍さんが、「真夜中のカウボーイ」をしらないわけはなく、
なのになんでおなじような設定をもってきたのだろう。
パクリではなくオマージュ、と いいわけはできない。
パクってない、といいはることはできても、
よむほうにとっては、かぎりなくどこかでみた場面だ。
似たような商品をつくっている会社にたいし、
不正なコピーだと、裁判ざたになっているのをときどきみかける。
車や自転車などは、機能的に 似たような商品なのだから、
デザインがよくにてもしかたがないようにおもう。
映画や小説だって、人間がすることに そうちがいはないだろうから、
似たような場面をみかけることもあるだろう。
ただ、それが確信的にパクろうとしたものなのか、
人間の無意識がつくりだした偶然なのかは
よんでいればだいたい見当がつく。
トランプ大統領は、おそらく黒だろうし、
村上龍さんの小説も、「真夜中のカウボーイ」から
安易にかりてきたようにおもえる。
龍さんのおかげで、トランプ大統領にくだされた、
「黒ときめられないけど、白ともいえない」
の判断が、とてもよく理解できた。
スポンサードリンク