2019年05月01日

「良き習慣は狂信的になされるだけの価値がある」とジギーはいった。(『熊を放つ』より)

朝日新聞の土曜日版beで、
デザイナーの佐藤オオキさんがとりあげられていた。
はなばなしい活躍のいっぽう、私生活はきわめて質素だという。
 スピーチや会見は大の苦手。趣味は愛犬きなこの散歩くらい。毎日ほぼきまった店で食事をし、白と黒の服しか着ない。ツイッターなどSNSとも縁がない。
「平凡な日常が本当に好き。いつもと同じルーチンワークをするのが、最大のストレス解消法です」

「平凡な日常がすき」などというと、
たいした仕事ができないひとにおもえるけど、
これがまったく逆なのがおもしろい。
佐藤正午さんも、おなじようなことをかいていた。
毎日毎日その繰り返し。夏以降なじんでいる一定のリズムを保つこと、日々の積み重ねで小説を一編書きあげること、それ以上の人生の大事はどこにもない。
『書くインタビュー3』(佐藤正午・小学館文庫)

日々のつみかさねでしか、小説はかきあげられない。

そういえば、ジョン=アーヴィングの『熊を放つ』でも、
コツコツつづけるタイプにはおもえないジギーまで、
習慣についてふれていたのをおもいだす。
良き習慣は狂信的に維持する必要がある。

のちにジギーは、この文句にすこし手なおしをくわえる。
良き習慣は狂信的になされるだけの価値がある。

あのいかれたジギーが、どこでこの確信をえたのだろう。

わかいころには、ルーチンワークなんてたいくつなだけだったけど、
あるていど歳をとってくると、「一定のリズムを保つ」意味が
すこしはわかってくる。
それなくては、なにごともなしえない。
途方もなく とおくへいくには、一歩をかさねるしか方法がない。
きっとイチロー選手も、コツコツとおなじ手順をくりかえし、
あのような偉業がつみあげられたのだろう。

一定のリズムをたもとうとしても、日常生活では、
ひとがあそびにきた、とか、
特別の記念日としておいわいしたいとか、
いろいろとイレギュラーなじゃまがはいる。
それでも、リズムをまもりつづける。
リズムがくずれやすいからこそ、ルーチンワークを大切にする。
リズムがくずれたときにも、ルーチンワークがもとにもどしてくれる。

連休ちゅうにも、だからからだをうごかしつづける。
夜、お風呂にはいるまえに「みんなで筋肉体操」の
うでたてふせとスクワットをする。
お風呂からあがると、かるいストレッチをしてから
ねむくなるまで本をながめる。
足元でまるくなっているココをみながら
寝酒をほんのすこしのむ。
ときには、ほんのすこし、ではなくなり、
ルーチンワークがみだれてしまう。
わたしは、ジギーのいう「狂信的に」が まだわかっていない。

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posted by カルピス at 10:00 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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