「一休みしたかったがサボる理由もないので」
ジョギングに出発した、というはなしがのっていた。
わたしもよく「サボる理由」をさがしたものだけど、
いまではなにもかんがえず はしりだすようにしている。
はしりるのが たのしみな日などあまりなく、
ほとんどの日は「めんどくさい」「できればやめたい」
という気もちが頭のなかをしめている。
かんがえはじめると、やめる理由をみつけだしてしまうので、
時間がきたら、自動的にはしりだす。
このひとのように、「サボる理由もないので」
はしれるひとはいいけど、
わたしのこころはもっとよわい。
体調やら天気やら時間やらを理由にしていると、
はしれる日なんかなくなってしまう。
それに気づいてからは、はしるかはしらないかを
からだに相談するのはやめた。
一週間のトレーニング予定をたて、
あとはしゅくしゅくと その予定にそって
はしったり、およいだり。
大雨がふっていたらとりやめるけど、
小雨くらいだったらはしる。
どうしようかなんて かんがえないのがいちばんだ。
水泳も、金曜日の午後はプールへいくときめ、
つかれていたり、プールがこんでいても、
とにかくチケットをかって、水着にきがえる。
プールへいくまえは気がのらないときでも、
きがえてしまえば あとはおよぐしかない。
とくにハードなメニューをこなしているわけではないので、
ゆっくりおよぎだせせば、あとはもうおわったようなものだ。
ほんとうにつかれていて、やすみが必要なときは、
自分のからだが ちゃんとおしえてくれる。
やすもうか、はしろうかを、かんがえるくらいの体調なら
からだをうごかしても大丈夫だ。
仕事でなにか あたらしいとりくみをはじめるときも、
やらない理由をさがしていたら、
いつまでたってもはじめられない。
やるかやらないかは、あらかじめきめておき、
あとは、それをどう「よりよく」実行するかをかんがえる。
情報をあつめ、そのうえで やるかやらないかをきめるのは
いっけんもっともらしいけど、きっとなにもすすまない。
「サボる理由もないので」はしれるひとは、そんなにおおくない。
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