宮田珠己さんが「なんもしない人」をとりあげている。
「レンタルなんもしない人」は、なにもしないけど、
そばにいるだけはできます、というかわったサービスだ。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/465502789.html
『レンタルなんもしない人』というサービスを始めます。1人で入りにくい店、ゲームの人数あわせ、花見の場所とりなど、ただ1人分の人間の存在だけが必要なシーンでご利用ください。 国分寺駅からの交通費と飲食代だけ(かかれば)もらいます。ごく簡単なうけこたえ以外なんもできかねます。
「レンタルなんもしない人」が、なにもしないで生きていることに
宮田さんはおどろきながら、うやらましくもおもっている。
本もとりよせて、奥付をみると、発売5日で増刷しているからだ。
ひとは、はたらかなくてもよかったのかと、
宮田さんは「肩の荷が降りた」という。
「なんもしない人」は、はたらかないから、
お金がはいらないかとおもえば、
本の出版というかたちでお金をえている。
でもそれは、たまたま本がうれた結果であり、
はじめから本をうってお金をかせごうと
なんもしないサービスをはじめたわけではない。
ひとは、なんもしないで、生きていくことが可能だろうか。
そして、ただひとのそばについていることが、
そんなにも もとめられる「サービス」なのだろうか。
それをいま「なんもしない人」は実験している。
お金に背をむけ、目にみえる損得ではうごかない。
ふつうだったら、生活をなりたたせる最低限の収入を、
どうやってえるのか、いろいろ工夫するところだけど、
「なんもしない人」はそういったかんがえ方はしない。
それでどうやってくらしていけるのか、ほんとうに不思議だけど、
「なんもしない人」にとって、そんなことはどうでもいいのだろう。
まったくあたらしいタイプの人間で、
問題意識がふつうにひととかけはなれている。
なにかあたらしいうごきは、
こういうひとからはじまるのかもしれない。
生きるためには なにかをして
はたらかなければならないと、
わたしたちはおもいこまされているけど、
そうではなかったとしたら すばらしいはなしだ。
「なんもしない人」のように
経済のしくみからかんぜんにはなれたところにたつと、
ちがった景色がみえてくるのだろうか。
いまはまだ実験のさいちゅうで、こたえをだす段階ではないそうだ。
「なんもしない人」が、どんな結論にたどりつくかをしりたい。
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