2019年08月10日

糸井重里さんの「夢をあきらめ、ほんとに助かったよ」に共感する

すこしまえの「今日のダーリン」に
夢をあきらめて、ほんとに助かったよ、と
糸井重里さんがかいている。
どういうことかというと、
糸井さんがむかしなりたかったマンガ家に、
もしかなりの努力をはらい なっていたとしたら、
水木しげるさんや吉田戦車さんの
「しょうばいがたき」になっていたということで、
危なかったぜ! ほんとうのじぶんより40倍くらい
才能があったり努力ができたりしていたら、
もっとずっとキビシイ人生を送っていたにちがいない。 (中略)
夢をあきらめ、努力もせずに生きてきてどうでしょうか。
結論的に言えば、ほんとに助かったよ、でした。

というはなし。
糸井さんだったら、かなりの人気マンガ家として
わたしたちをたのしませていたとおもうけど、
まあ、ご本人がそういわれるのだから、
そういうことにしておくとして、
夢をあぎらめるな、あきらめないかぎり夢はかなう、
みたいなことをよく耳にするけど、
あきらめといて「ほんとに助かったよ」は
あまりきかれない発想なのでおもしろかった。

わたしは、小学生のときにプロ野球選手、
そのあとは『野生のエルザ』の影響で、
アフリカの自然公園につとめる狩猟監視官を
ばくぜんと夢みていた。
とはいえ、そのために具体的な努力をはらったわけではなく、
なにもしないまま、まったくの夢でおわっている。
おとなになってからも、とくになにかをめざしたことはなく、
夢にむかってあきらめずに努力するよりも、
はやばやと、なにかをめざしてがんばるのをやめた気がする。
そんな消極的な生き方を、いまになって後悔しているわけではなく、
糸井さんとはちがう理由から
「夢をあきらめ、努力もせずに生きてきてほんとに助かったよ」
とおもう。
もし夢にむかって生きていたら、
くるしさにたえきれず、もうすこしのところでやめてしまい、
ふかい挫折感をあじわっていたのではないか。
そのキズをひきずって、ずっと後悔するよりも、
わたしみたいなヘタレは、はやめのリタイアがちょうどいい。
それはそれで ひとつの人生としてなりたちそうだ。

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posted by カルピス at 21:32 | Comment(0) | ほぼ日 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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