2019年08月22日

デイリーポータルZの「別れの手紙ジェネレーター」は、『知的生産の技術』の提案を実現させた

すこしまえのデイリーポータルZに
「ラブレタージェネレーター」がのった。
https://dailyportalz.jp/kiji/love-letter-generator
サイトにしめされる
・だれにだす手紙ですか
・どんなスタイルで(ストレートに・遠まわしに、などからえらぶ)
などの質問にこたえていくと、
あっというまにラブレターができあがる。
そのままではあんまりだ、というひとは、
自分なりに ちょこちょこっと つけたせば、
もっとこなれた手紙がかけるだろう。

さらにこんどは、「別れの手紙ジェネレーター」がつくられた。
https://dailyportalz.jp/kiji/wakareno-tegami-generator
これまた、質問にこたえていけば、
あとくされなくわかれをきりだせる。
くっつくより、わかれるほうがややこしいので、
もしかしたらたいへんな発明かもしれない。
つくった林雄司さんによると、
機械まかせの手紙でできた恋人とは、別れるときのお手紙も機械まかせ。ペッ!と書いてペッ!と送れば一件落着(?)

なのだそうだ。

梅棹忠夫さんの『知的生産の技術』には、
手紙のかきかたの章も もうけてある。
 日本人が手紙をかかなくなったのは、内容第一主義のかんがえかたと、どこかでつながっているにちがいない。内容本位で、形式を否定してしまったから、みんな手紙をかけなくなってしまったのだ。むかしは形式がしっかりときまっていた。形式はややわずらわしく、おぼえるのに手間はかかったが、おぼえてしまえばだれでもが、自分のつたえたいとおもう内容をのべることができた。まったく無内容でも、手紙をだすこと自体に意味があるというような手紙さえも、りっぱにかけたのである。
 ところが、形式が否定されてしまうと、こんどは各々の責任において、いきいきした名文をかかねばならなくなったのだ。

「まったく無内容でも」
「手紙を出すこと自体に意味があるというような手紙」
というのが、ほとんどの手紙の本質をついている。
手紙は、適切なときにだしさえすれば、目的を達成したようなものだ。
ラブレターはさすがにちがうでしょう、
というひともいるかもしれないけど、
もんもんとまよったあげく、行動にうつせないよりずっとましだ。

わたしはさいきん、手紙のやりとりが原因で、
ふるくからの友人と関係があやしくなってしまった。
なんにでも いちいち相手がつっこんでくるので、
めんどくさくなり、もう手紙はやめようと、わたしからきりだした。
これも、形式を否定したことによる弊害ではないか。
たとえ友人であっても、自由に内容を展開するのではなく、
形式をまもって、しゅくしゅくと、やりとりしたほうがいい。
わたしも友人も、おもったことを文章にあらわせるほど、
かく能力にめぐまれていないようだ。
そして、それはほとんどのおとなにいえるのでは。

梅棹さんは、手紙の用事ごとに分類し、
あるていど型をきめて、手紙をかきやすくしている。
 もう一歩すすめると、パラグラフ・システムになる。手紙の文章を、いくつかのパラグラムにばらして、それぞれについての模範的文例をカードにして用意しておくのである。必要あるときには、はじめのあいさつはコード3、要件のきりだしはコード18、要件の中心的部分はコード32、しめくくりはコード57、というふうに、パラグラフをくっつけると、完全な文章ができあがる、というしかけである。

これは、まさに手紙ジェネレーターだ。
梅棹さんの提案は、50年たって、ようやく実用化された。

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posted by カルピス at 21:59 | Comment(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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