ただ、左のほうはふつうにきこえるので、
日常生活にまったくさしさわりはない。
2週間まえに、イヤホンをつけてレンタルDVDをみたとき、
右のほうからはほとんど音がはいってこないので、
ようやく耳の異常に気づく。
なんでかなー、とおもいながらも、いたみはないので、
たいして深刻にかんがえずにそのままほっといた。
それが、なんにちかまえに、
右耳がまったくきこえないことに気づく。
症状がさらにすすんだのだろう。
ためしに右耳を手でふさぎ、左耳だけでききとろうとすると、
すこしも音がはいってこない。
もし左耳までおなじ症状になれば、
わたしは音をうしなってしまうのかと、あせってきた。
なにかたちのわるい感染症で、右の症状が、
やがて左にもすすむかもしれない。
わたしは視覚上位の人間で、
目さえみえたら、耳はたいして必要ない、などと
聴覚をひごろ かろんじてきたけど、
もしもほんとうに音をうしなったら、
どれだけたいへんか、すこしかんがえただけで想像できる。
いまの仕事をつづけられるかわからないし、
旅行へいってもコミュニケーションがとれない。
音楽をきけないので、老後のたのしみとおもっていた、
クラシック鑑賞もむりだし、
映画だって音なしではぜんぜんたのしめない。
わたしは、ベートーベンみたいに、
晩年になって音をうしなうのか、と
生粋のヘタレであるわたしは、心配がどんどんふくらんでくる。
それがきのう。
きょうは、仕事をぬけさせてもらい、
近所の耳鼻咽喉科をたずねる。
おそらく外耳炎だろう、でも
なにかおそろしい病名をつげられたらどうしよう。
わたしの右耳をのぞきこんだ先生は、
まずおそうじしましょう、といって
耳あかをとりだした。つづいて右も。
きれいにしてから本格的な診察だろう、とおもっていると、
きょうの治療はそれでおわった。
耳あかを、半分はとれたけど、
のこりはかたくくっついているので、薬をつかいましょう。
つぎにくるときは、まえの夜と当日の朝に薬をいれて、
耳あかがはがれやすくしてください、といわれる。
外耳炎ではなく、耳あかがたまりすぎて つまっていたのだ。
そうじゃないか、というおもいがすこしはあった。
でも、そんなギャグみたいなおちで すまされるほど、
現実はあまくないだろう。
希望的観測は、あくまでもひとりよがりな希望でしかなく、
現実はもっとようしゃなくシビアなはずだ。
でも、ほんとうに、ただの耳あかだった。
ぞくにいう耳くそ。
耳かきは、日本にしかないときいたことがあり、
だったらほかの国のひとは、耳くそをとらないのだろう。
くすぐったいし、いたいしで、わたしは
耳そうじがきらいだったので、
もう何十年も耳くそをとってこなかった。
つもりつもった耳くそが、しっかり耳の穴をふさぐと、
音は完璧にさえぎられてしまうようだ。
ほんのわずかなあいだにせよ、音をうしなう心配をしたことから、
音がきこえるありがたさをリアルにかんじた。
目がみえさえすれば耳なんて、とは、
なんとごうまんな態度だったことだろう。
耳がきこえなければ、どれだけ不自由な生活になるのか、
想像しただけでも、耳がはたしているやくわりはおおきい。
いまあたりまえにすごしている日常が、
どれだけありがたいかを、数十年ぶんの耳くそにおしえられる。
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