2019年08月28日

『天気の子』100%の純愛ものがたり

『天気の子』(新海誠:監督・2019年・日本)

まったく予備知識なしにみた。
絵がきれいで(後半は、ときどきあれてくる)、
花火の描写などは、本物の花火よりきれいにみえた。
雨だって、いろんなふりかたをする。
これだけたくさんの雨がでてくる作品はない。
あまりにも雨にうたれる場面をみたので、
あんなかんじで ずぶぬれになるのも わるくない気がしてきた。
たまたまだけど、きょうはいちにちじゅう雨がふっていた。
『天気の子』をみるのに、絶好の日だった。

家出して 東京にでてきた16歳の帆高(ほだか)が、
「100%晴れ女」で、自称18歳の陽菜(ひな)にひかれていく。
100%の純愛ものがたり。
(以下、ネタバレあり)

帆高は陽菜のちからをいかし、
お客さんがのぞむ日をはれにする仕事をはじめる。
陽菜がいのると、どんな雨ふりの日でも、
かならずはれまがあらわれる。
ふたりのサイトは評判をよび、注文が殺到するけど、
そうやって、雨の日をはれにするいのりは、
陽菜のからだを すこしずつむしばんでもいった。
そして、いのるたびに陽菜のからだは透明になってゆき、
ある日 陽菜は空へのぼっていく。

ここまではよくあるはなし。
この作品でよかったのは、帆高がぜったいに陽菜をすくうと、
自分もまた空にあがり、陽菜をつれもどしたところ。
警察の包囲をふりきって、スーパーカブにもがんばってもらい、
帆高は、いぜん陽菜がおしえてくれた神社を懸命にめざす。
この神社が、空と地上とをむすぶポイントだった。
空のうえで陽菜をみつけた帆高は、
いっしょに地上へ もどろうとする。
いちどうしなった相手を
つれかえるのに成功したはなしって、あまり例がないのでは。
「ずっといっしょだ」と、帆高は陽菜をしっかりだきしめる。
こうしたピュアな純愛ものが、わたしはだいすきだ。

この作品では、雨だけでなく、雲の存在感もすばらしい。
発達した積乱雲は、みずうみひとつに匹敵するほど
おおくのの水をふくんでいる、
みたいなことが作品のなかでかたられていた。
はかりしれないちからを 雲はひめている。
ゲリラ豪雨は、透明で、巨大な幕のなかにみちている
水のかたまりとしてえがかれている。
ギリギリのところで空中にとどまっていた幕が
こらえきれなくなってやぶれると、
「バケツをひっくりかえした」では
形容のつかないはげしい水のかたまりが
地上にたたきつけられる。

地上のはるか上空にひろがる雲のかたまりは、
圧倒的なエネルギーをひめた巨大な大陸にみえる。
天気予報が発達し、台風のうごきや
一週間さきの天気まで予測できるようになったとはいえ、
人間は、どれだけ天気についてしっているといえるのだろう。
46億年という地球の歴史では、
雨が何年もふりつづく時期もあったのではないか。
現代をいきる人間が、「異常気象」とよくいうけど、
ながいサイクルでとらえると、誤差の範囲ていどの
わずかな変化かもしれない。
温暖化の原因をすりかえるわけではなく、
天気について、人間はもっと謙虚になったほうがいい、
というはなしだ。

陽菜がもどったのとひきかえに、東京の天気はまたくずれ、
雨が3年もふりつづき、おおくの町が水にしずんでいく。
それでもひとびとのくらしはつづけられている。
道路のあちこちが水につかり、
うごかなくなった自動車がほおっておかれ、
ひとがとおらなくなった道には草がおいしげる。
こんなかたちでさびれていく東京と、
それでもたのしげにくらしている ひとびとのようすが、
ありそうな日本の将来におもえてくる。

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posted by カルピス at 22:03 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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