4人の担当者が週ごとにかわりながら番組をうけもつ。
金曜日は番組をながさない。
この、月曜日から木曜日をひとつの単位とするかんがえ方は、
あんがい、というかすごくいいような気がしてきた。
土日はもちろん週末として存在し、月から木は仕事をする期間だ。
ちゅうぶらりんの金曜日はなにをする日かというと、
ウィークデーとウィークエンドをつなぐ役わりをになう。
仕事をする日から おやすみの日に、いきなり突入すると、
からだと頭がついていけず、たいへんだ。
週末へのからだならしとして、金曜日は、
ほとんど仕事をせずに、週末にむけ あそぶ準備にあてる。
からだは職場にあるけど、意識は週末へと とんでいる。
それをわるいこととしてではなく、肯定的にとらえたい。
なんなら週休3日でもいいわけだけど、
日本のおおくの職場は、週休2日でうごいており、
いきなり3日やすみましょう、とはなかなかならない。
週に5日職場へいくけど、はたらくのは実質4日で、
金曜日はできればなにもしない おまけとして位置づける。
それぐらいがちょうどいい、というのが
週5日はたらいているものの、
実質的な内容は4日分でしかない、わたしの実感だ。
「働き方改革」というほどおおげさなものではないけど、
からだと頭をらくにする ささやかなとりくみとして提案したい。
先日の朝日新聞に、
「職業は胸を張っての『無職』」という投稿がのった。
60歳で定年をむかえ、そのご雇用延長や再就職はせず、
「夢にまで見た無職」をたのしんでおられるようすだ。
この方は、筋金いりの「働きたくない」ひとで、
学生の頃「働きたくないので、一生面倒をみてくれ」と父親に言いたかったのだが、さすがに言い出せずに就職した。
という。
ようやく手にいれた「無職」であり、いわば主体的な無職だ。
仕事をしたくてもみつからない「無職」とはちがう。
投稿でも、職業をかく欄が「無職」となっている。
からだがうごくうちははたらきたい、はたらこう、
という趣旨の意見をよく耳にするけど、
この方のように、はたらくのがきらいなひとだって
すくなからず存在するはずで、
それもまたひとつのかんがえ方だ。
おおくのひとは、からだがうごけば
たとえお金にこまっていなくても、ついはたらいてしまうけど、
このかたは、ようやく手にいれた
たらかなくてもいい立場をだいじにされている。
はたらきたいひとは、仕事をつづければいいけど、
はたらきたくないひとは、自分の時間をたいせつにする。
こうした選択もまた、尊重される世のなかであってほしい。
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