納豆に、タレとからしをかけてから かきまぜるのはゆるせない、
という つよい意見がよせられていた。
番組側も予想していたこだわりらしく、
やっぱりでましたね、という反応だった。
タレをかけてまぜると、 糸をひきにくくなるらしく、
糸ひきが納豆の命とかんがえているひとは、
それがたまらなくいや、ということらしい。
ちいさなことにこだわるのは、
個人的なあそびとしてたのしいかもしれないけど、
まわりのひとにも 自分のこのみをもとめたりすると
いっきにめんどくさくなる。
高野秀行さんの『謎のアジア納豆』をよむと、
納豆が日本独特の食品ではなく、世界各地でたべられており、
日本は むしろおくれている地域としてとらえられている。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/439220603.html
糸ひきにこだわるのは日本人ぐらいだそうで、
たんなるおもいこみにすぎない。
むかしの日本人は、納豆をごはんにまぜるより、
おおくの場合、汁にいれてたべていた、というから、
ねばりこそが納豆のよさ、なんて、ますますどうでもよさそうだ。
どうでもいい、とかんがえるわたしより、
糸ひきにこだわるひとのほうが
食をたのしんでいるのかもしれないけど、
そうしたどうでもいいことであそぶのが
このごろつくずくめんどくさくなってきた。
こだわりなく、なんでもおいしくいただきたい。
けさの朝日新聞で、東畑開人さんの『居るのはつらいよ』が
大佛次郎賞にえらばれたとほうじられている。
わたしがこの本をしったのは、東畑さんと高野さんの対談を、
「週刊読書人」で目にしたことがきっかけだ。
高野さんがすすめるのなら、とよんでみると、
ほんとにおもしろかった。
辺境作家の高野さんは、だれもいかないところへいき、
だれもしないことをかくのが仕事であり、
読書においても、ひとがあまりよまない本にまで
目をくばり、紹介してくれる。
このみの本にであうには、こんなふうに、
自分のすきな作家のおすすめが とても参考になる。
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