2019年12月29日

かんたんそうでむつかしい「約束」

きのう・おとといと、2日つづけて約束がうまくいかなかった。
どちらも仕事ではなく プライベートで、あいては別のひとだ。
きのうは1時間、おとといは1日まちがえていたという。
あとから事情をきくと、両方とも単純なかんちがいだった。
どちらの約束も、10日ほどまえにとりきめており、
すこしさきのはなしだったから、
前日にでも、再確認すればたしかだったかもしれない。
とはいえ、約束って、こんなにふたしかなものかと
いまさらながら「約束」にうたがいをもつようになった。

子どものころから いまにいたるまで、
かぞえきれないくらい「約束」をしてきたわけで、
これまでにもうまくいかなかったことや
ドタキャンをなんどか経験している。
うまくいかなかった約束は、いったいなにがよくなかったのか。
おおくの場合、単純なかんちがいか、うっかりわすれていたかで、
わるぎはなく、そのひとの人格とは関係ない。

どうすれば「約束」をたしかなものにできるだろう。
かんがえられるのは、当日のまえに確認することだけど、
プライベートな用事で再確認するのは あまりうつくしくない。
仕事じゃないんだから、かるいのりでうけいれ、
でもちゃんと約束はまもる、というふうでありたい。
ひとつのやり方は、直前に約束することだ。
10日もさきではなく、きょう、あるいはつぎの日の約束をすれば、
いちいち再確認の必要などない。
ただ、日本では、きょうやあすのことを約束するのは、
あまりにも余裕がないとして、このまれない。
そんな急なことをいわれても、みたいな反応がかえってくる。

約束にあまりとらわれすぎると、
うまくいかなかったときの気もちのきりかえがむつかしい。
約束はなかなかうまくいかないものとわりきり、
あまり重大にかんがえないほうがいいかもしれない。
約束はうまくいかない、というリスクを承知したうえで約束する。
うまくいかなくても、さっとわすれてしまう。
うまくいかないのが人生なのだとうけいれる。
自分のふところのひろさをためされ、
感情のコントロールの練習だとうけとめる。
自分のちいささを、しっかりおしえられる体験となった。

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posted by カルピス at 20:43 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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