2020年05月10日

ネコ映画としての『ゴッドファーザー』

『ゴッドファーザー』
(フランシス=フォード=コッポラ:監督・1972年・アメリカ)

BSプレミアムで放送されていた。
もうなんどもみてるけど、
「こういうときだからこそ」と
あんまりよくわからない理由をつけて録画する。
何回かにわけてみた。

オープニングで印象にのこるのは、
ドン=コルレオーネがひざにだいているネコだ。
子ネコというほどちいさくはないけれど、
性格はまだ赤ちゃんで、ドンの手にずっとじゃれついている。
葬儀屋のボナセーラがドンにおねがいしている最中、
ドンはひざにだいたネコをずっといじっている。
ただネコをなでるのなら、そうむつかしくないだろうけど、
あそぶのに夢中になっているネコを、
いいかげんにあやす手つきがすばらしかった。
ネコの出演は、まえから予定されていたものではなく、
マーロン=ブランドがたまたまネコをスタジオでみつけ、
撮影につれてきた、といわれている(ウィキペディア)。
ボナセーラの陳情のなまなましさと、
むじゃきにあそぶネコとのギャップが、
作品にリアリティをあたえている。

パート1の一週間後、こんどはパート2が放映された。
パート2のすぐあとに、旅番組「世界ふれあい街歩き」が
シチリアのパレルモをとりあげていた。
ゴッドファーザーのあとでパレルモ。
ただの偶然なのか、意図的な配置なのか。
「世界ふれあい街歩き」では、ほかの文化にたいして寛容で、
とてもくらしやすい町としてパレルモを紹介している。
一見すると、こぎれいで、いごこちのいい町にみえる。
ただ、番組でナレーターをつとめる女性のはなし方が、
かわいらしくふるまいすぎ、鼻についた。
たのしくて、たのしくて、みたいな案内ではなく、
目にはいったものを、淡々と紹介するだけでじゅうぶんなのに。

パレルモといえば、「ゴッドファーザー」により、
マフィアの町としての印象がつよい。
そして、村上春樹さんも『遠い太鼓』のなかで、
パレルモのことをかなりわるくかいている。
まずとにかく街が汚い。すべてがうらぶれて、色褪せて、うす汚れている。街を構成する建物のおおかたは一言でいえば醜悪である。そして街を行く人々の顔は無表情で、どことなく暗い。車が多すぎて、騒音がひどく、都市機能は見るからに貧弱である。そしてこれはあとでわかったことだが、街には暴力犯罪があふれ、人々は猜疑心が強く、よそ者に対してひどく冷たい。

『遠い太鼓』が出版されたのは1990年だから、
30年のあいだに、画期的な改革がおこなわれた可能性もあるけど、
これだけひどくかかれると、
うえつけられたイメージはなかなかかわらない。
ただ、レストランとアイスクリームだけは村上さんもほめていた。

家族を土地のマフィアにころされたビトーは、
アメリカでちからをつけたのち、ふたたびシシリーをおとずれる。
たとえあいてがヨボヨボの老人であっても、きっちり復讐をはたす。
どんなにむかしのことでも
わすれないでおとしまえをつける風習は、
そうかんたんにかわらないのではないか。
パレルモの素顔をしるには、自分がいってみるしかないけど、
村上さんの記述の印象がつよく、
たずねたい気がぜんぜんおこらない。

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posted by カルピス at 21:43 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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