2020年08月05日

トランジットで一泊したモスクワの記憶

デイリーポータルZに地主恵亮さんの
「ソ連時代のガイドブックでロシアに行く」がのった。
再放送の記事で、公開されたのは2016年だ。
https://dailyportalz.jp/kiji/160317195945

記事とはぜんぜん関係ないけど、
わたしは飛行機の のりつぎ時間の関係で、
ひとばんだけモスクワにとまったことがある。
デリーからアテネにむかうアエロフロートは、
モスクワでいちにちをすごしてから、
つぎの日にアテネへとむかう便だった。
1987年の5月、いまから33年まえのはなしだ。

ソ連が崩壊したのが1991年だから、
もうそろそろ30年になるわけで、
わかいひとのなかには、ソ連という国があったことを
しらないひともおおいのではないか。
わたしは、いまでも「ソ連」と、よく口にしてしまう。
あたまのなかではロシアだって、けっきょくは
ソ連みたいなものだろうと、おおざっぱにとらえている。

ひとばんとまった、といっても、それはソ連のことだから、
自由行動はみとめられていない。
空港でやたらとまたされたあげく、
10人ほどの旅行者がバスにのせられて
空港ちかくのホテルにはいった。
2人部屋で、わたしはこれからドイツではたらくという
タイ人のわかものとおなじ部屋だった。
ホテルからかってにでられないけど、
モスクワの市内観光をするバスがホテルにむかえにきた。
わたしは体調がよくなかったため、部屋にのこったので、
ソ連のことは、空港とホテル以外、まったくしらない。
5月だというのに、ひえびえとした空気をおぼえている。
もっている服をぜんぶきてもさむかった。

ソ連といえばトイレだ。男性用トイレの便器が、
ものすごくたかいところにとりつけてあり、
身長180センチのわたしでも、つかいずらい。
トイレにそなえつけてある紙は、
トイレットペーパーではなく、長方形の茶色い紙だった。
おしりをふきたくないぐらい、ゴワゴワでかたい紙だ。
食事はぜんぶホテルの食堂でとった。
朝ごはんと昼ごはんは、ハムやソーセージなどのつめたい食事で、
夕ごはんは料理されたものだった。
味については、なにもおぼえていない。

空港とホテルしかしらないのに、
なんにちも滞在した国とおなじように、
ソ連について、いくつかの断片が記憶にひっかかっている。
予定していた旅行ではなく、なにもしなかった一泊二日なのに、
いまとなっては いいおもいでとなったトランジットだ。

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posted by カルピス at 22:05 | Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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