2020年10月13日

クールジャパンでの「IKIGAI」がよくわからなかった

「クールジャパン」(NHK-BS)で、
「世界を変えた日本の大発明」が特集されていた。
外国人からみて、クールだとおもう日本の発明はなにか。
回転寿司やカメラつき携帯電話はわかるけど、
4位に「IKIGAI」があげられていた。生きがいのことだ。
外国には、生きがいにあたることばがないそうで、
それなのに このところ「生きがい」が関心をもたれているという。
外国人による「IKIGAI」についての本も紹介されていた。
生きがいが、日本でうまれた概念だとはしらなかった。
そして、生きがいをもったほうがいいと、
外国のひともかんがえるようになっているのが興味ぶかい。

わたしはわかいころよんだ梅棹忠夫さんの
『わたしの生きがい論』につよい影響をうけた。
このブログにも、ときどきとりあげている。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/394704571.html
この本は、「生きがい論」といっても、
生きがいをもちましょう、ではなくて、
人生に生きがいはいらないとかいてある。
へんに生きがいなんかをもつから
世の中がおかしなことになる、というのにはおどろいた。
生きがいをもち、がんばってはたらくことで、
結果として なにかがうまれてしまう。
個人の充実感のためにがんばったことが、
地球規模でかんがえると、環境を破壊し、
資源をつかいはたしてしまう。
生きがいなんてものをもたず、
わたしはアホでっせ、と ただ生きたほうがいい、
というかんがえ方に、わたしはしびれた。
『わたしの生きがい論』には、3つの講演がおさめられている。
「キバと幸福」1959年
「未来社会と生きがい」1970年
「人間と社会とアドベンチャーと」1974年
いずれも日本ぜんたいがモーレツにうごいていた時代なのに、
梅棹さんはすでに「生きがい」をもって
生きることへの疑問をうちだしている。
その当時、「生きがい」なんてもたないほうがいいかも、
といわれても、きいているひとたちはとまどったのではないか。

これらの講演から50年がたち、ここにきて 世界が
「生きがい」をもとめるようになったのが不思議におもえる。
ただ、外国人が注目している「生きがい」は、
社会のためにがんばって生きることではなく、
ここちよい精神状態をえるための「生きがい」ではないか。
そうしたかんがえ方は、外国にもこれまでにあったとおもうけど、
なぜいまになって日本的な「生きがい」にすがりたくなるのか、
番組をみているだけでは わからなかった。

生きがいなんてもたなくてもやっていける、という
『わたしの生きがい論』どおりにわたしは生きてきた。
世間は「生きがい」がだいじ、という価値観がつよいけど、
生きがいはいらない、というかんがえ方をひとつはさむだけで、
ずいぶん楽に生きてこれたようにおもう。
「生きがい」を、気もちのもちかたでなんとでもなる、
みたいな精神論ではなく、文明史のながれから
積極的に否定してみせた『わたしの生きがい論』。
「IKIGAI」がどんな本なのかすこし気になるけど、
日本語の「生きがい」とはすこしちがうのではないか。

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posted by カルピス at 22:30 | Comment(0) | 梅棹忠夫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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