2020年10月24日

「言い切る」が気になる

まえから「言い切る」という表現がきらいだ。
「力強く語った」もいやだ。
インタビューなどをまとめた文章で、
なんとか選手は「言い切った」、みたいにいわれると、
だからなんだというのか、とおもってしまう。
個人のこのみでしかないけど、
いつから「言い切る」が市民権をえたのか。

そんなふうに、自分ではこまかいこというくせに、
ひとの了見のせまさは気にさわることがある。
さいきん出版された
『その言い方は「失礼です!」』という本の広告に、
いくつか「失礼」ないいかたの例がのっていた。
それをよむと、そのほとんどが、
わたしにはたいして問題があるとはおもえない。
著者がそうおもってるだけではないのか。
でも、アマゾンのレビューをみると、
いまさらそんなあたりまえなことをいいだすな、
という内容がおおかった。わたしのかんじかたとぜんぜんちがう。

エバーノートで「言い切る」を検索すると、
「『形容詞+です』薄れる違和感」
というノートがひっかかった。
「おいしいです」「あぶないです」は、
明治時代にはみとめられていなかったのが、
だんだんとゆるいあつかいになってきた、
という新聞記事だ。
こういうのを「言い切り形」というのだという。
本多勝一さんの『日本語の作文技術』で、
「体言止めの下品さ」としてとりあげられており、
つかわないよう気をつけるようになった。
はなすときには「おいしいです」といわれても
あまりひっかからないのに、文章にすると子どもっぽくおもえる。
そんな体現どめが「薄れる違和感」になるというから
こどばづかいはいろいろとやっかいだ。

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posted by カルピス at 17:42 | Comment(0) | 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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