出場機会をもとめて ガンバ大阪から
J2のジュビロ磐田へ 期限つきで移籍した。
最多出場記録にこだわり、ガンバのベンチをあたためるよりも、
スタメンで試合にでつづける環境をえらんでのことだ。
サッカーにかぎらず、おおくのチームスポーツは、
試合のあとのインタビューをきいていると、
ゴールやホームランなど 個人の活躍よりも、
チームがかったことがうれしい、みたいな発言をする選手がおおい。
日本人だけでなく、外国人選手でも
おなじように「チームのため」を第一にかんがえているようだ。
チームのために、一生懸命がんばってはたらき、
その結果として チームがいい成績をおさめると、
チームは上のカテゴリーにあがったり、
優勝したら大型の補強をしてさらにつよくなろうとする。
それでどうなるかというと、選手間での競争がはげしくなり、
チームのためにがんばってきた選手の
出場機会がすくなくなったり、戦力外と判断されたり。
チームに貢献した結果、自分の居場所がなくなるという
残念な事態におちいるのがチームスポーツだ。
チームのためにはたらいた選手が、
貢献した結果として、そのチームにいられなくなる。
自分がつかわれなくなることを承知のうえで、
チームをつよくしたいという、選手の心理が不思議だ。
「ピーターの法則」の、創造的無能をおもいだす。
いまの段階で有能な会社員は、その能力をみとめられ、
ひとつうえのポジションへと昇進させられる。
そこでも有能ならば、さらにうえのポジションへ。
そうするうちに、だれもが どこかで、
力を発揮できず、無能となるポイントにたどりつく。
ひとつまえの段階では有能なのだから、
まわりは昇進させようとするけど、
その結果、組織も個人もふしあわせな状況となる。
そうならないために、創造的に無能を演出せよ、
というのがピーターの法則では提案されている。
わざとときどきミスをすれば、まわりはそのひとを
昇進させようとせず、ぬくぬくと、
有能な段階にとどまることができる。
とはいえ、スポーツでは、自分のチームがかたないように、
わざと手をぬくわけにはいかない。
八百長になるから、という理由ではなく、
そんなことをしたら、その競技の魅力をたのしめないからだ。
選手たちは、自分の能力を最大限にいかせる環境をもとめている。
手をぬいてまでチームにのこるのでは、
その競技の魅力をぞんぶんにたのしめない。
サッカーのように、ひろく世界中が市場となっていたら、
J1がだめならJ2、さらにしたのカテゴリーもある。
つよいチームをもとめるのならヨーロッパへ、
日本よりよわいリーグならアジアの国々に
たくさんのサッカークラブからえらぶ、あるいはえらばれる。
自分の能力におうじ、どこかのチームと おりあいをつける。
ちからをぬくのではなく、全力をふるえる環境をもとめるのだから、
サッカー選手は現実主義者であるとともに、
ロマンチストがおおいのではないか。
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