クモやカマキリ、それにスズメバチなどがでてくると、
どうしてもおそろしい顔にえがかれがちだ。
ちからずくでよわいものをたべてしまういやらしいやつ。
とはいえ、クモやカマキリは、では、どうやって生きればいいのか。
ねばつく糸で網をはり、獲物をまちぶせたり、
ちからづよいカマで獲物をつかまえるのが彼らのやり方であり、
ほかにやりようがないから、そうやって生きている。
でもまあ、やさしそうな顔でクモやカマキリをかくと、
みるほうは これはなんの意味だろうと とまどうだろうから、
絵をかくほうもいろいろとむつかしいのかもしれない。
よわいものはやさしい顔に、つよいものは猛々しい顔に、と
かきわけるのがマンガやアニメの共通ルールなのだろう。
いろいろかんがえてみると、そもそも
動物を擬人化してかくことに無理があるのだ。
スズメバチはスズメバチの顔をしているのであり、
あえて彼らをやさしい表情にかくと、
なにかのメッセージになってしまう。
こわい顔にかいたとしても、それは人間の主観にすぎず、
スズメバチは すきでこわい顔をしているわけではないから失礼だ。
人間の解釈で表情をつけるのではなく、
ただありのままにかくしかない。
実写のように、リアルな描写でなければ 事実をそこねてしまう。
家のネコをかわいがり、かわいいねー、おりこーだねー、と
人間の赤ちゃんみたいな存在としてあつかってしまいがちだけど、
ネコにはネコの社会があり、家をいっぽでると
そこはネコのルールにのっとった世界だ。
わたしにとっては、かわいくてたまらない子ネコでも、
ネコの社会にでれば 1匹のネコとしてのうごきがもとめられる。
このまえ子ネコのプリンが外でケガをしたとき、
病院の先生は、つぎはもっとひどくやられるから、
外にはださないように、とクギをさした。
プリンをおそったノラネコにしてみたら、
自分のなわばりにはいりこんだよそもののネコは、
たとえまだ子どもであっても、ほっておくわけにいかないらしい。
なんぎな世界だけど、野生とはそういうものなのだろう。
おたがいネコだから、ケンカなんかしてないで、
なかよくやっていきましょう、とはいかないのだ。
わたしが家のネコにもとめるのは、やさしさとか かわいさだけど、
それはわたしのかってなねがいにすぎず、
ネコたちはネコとして生きようとしている。
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