2021年02月16日

糸井重里さんの集約が意外だった『ピーターの法則』

糸井重里さんが「今日のダーリン」で
いぜんによんだという『ピーターの法則』をとりあげている。
「創造的無能のすすめ」という副題にあるとおり、
わざと無能なふりをして、いまのポジションにとどまったほうがいい、
とかかれた本、のはずだ。
はずだ、というのは、糸井さんの集約とはずいぶんちがうからで、
糸井さんは、「創造的無能のすすめ」という副題を承知しながらも、
ぼくは、その本の内容を約一行に集約して覚えた。
 「人は、ほめられたところにとどまりやすい」である。

とかいている。
え、そうだったっけ?と わたしはとまどってしまった。
「創造的無能」をすすめる本じゃなかったの?
『ピーターの法則』をとりだし たしかめようとしたけど、
本は15章からなり、かんたんには全体の内容をつかめない。
本をひらくと、なんのかきこみもなく、きれいなままだ。
わたしはよんだつもりになっていただけで、
ちゃんと目をとおしていないような気がしてきた。

なんでわたしがこの本をもっているかというと、
梅棹忠夫さんが『わたしの生きがい論』のなかで
『ピーターの法則』を紹介していたからだ。

あるひとが、いまいるポジションで有能さをしめすと、
まわりはもういちだんレベルをあげたポジションにつかせようとする。
そこでも有能さをしめすと、さらに一歩うえのレベルへあげられる。
そうするうちに、だれでも無能となる位置にたどりつき、
そこではおもったように仕事をこなせず、まわりからもみはなされて、
自分も同僚も、おたがいに不幸な状況におちいってしまう。
そんなことなら、いちだんうえにあげられるのを
なんとか理由をつけて ことわればいいのだけど、
そのときには、まだそのひとは有能なのだから、
まわりはどうしても 一歩うえにひきあげようとする。
だったら、わざと無能なふりをして、
いまのポジションにとどまったほうがしあわせですよ、
という内容だと梅棹さんは紹介している。

それが「生きがい」となんの関係があるかというと、
『わたしの生きがい論』は、生きがいを否定しているからで、
人生に生きがいはない、というより、
もたないほうがいい、とこの本はといている。
進歩だけで地球の問題が解決するとおもうのはあまいですよ、
むしろ、知恵をしぼることで、問題がよりわるくなってしまう、
それよりも、なにもしないほうがましだ、
というのが梅棹さんの「生きがい論」だ。

わたしは梅棹さんの説にとびつくあまり、
たいして『ピーターの法則』をよまないうちから、
その内容をきめつけていたのではないだろうか。
じっさいは、糸井さんの解釈どおり、
「人は、ほめられたところにとどまりやすい」
とかかれた本かもしれない。

糸井さんが集約する
「人は、ほめられたところにとどまりやすい」は、
梅棹さんのとらえ方と真逆におもえる。
でも、すくなくとも糸井さんは本の全体に目をとおし、
そのうえで1行にまとめている。
梅棹さんの説をうけうりし、
『ピーターの法則』をよんだつもりになっているわたしは
『バーナード嬢曰く』の町田さわ子さんみたいに、
本をよまないでおいて、よんだ気になりがちな読者のようだ。

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posted by カルピス at 21:22 | Comment(0) | 梅棹忠夫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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