2021年05月03日

とまりあけのリセットには、散歩とひるね

とまりあけの月曜日。
定期的にではなく、ほんのときたま職場でとまりをたのまれる。
ゆうべがひさしぶりのとまり(ショートステイ)だった。
利用者に、1対1で対応すればよく、いそがしくはないのだけど、
かといって、ゆっくりねむれるわけでもない。
とまりになれていないせいか、翌日のつかれは独特だ。
わかいころは、とまりあけでもつづけて仕事をしていたけど、
いまそんなことをやると、なんにちもつかいものにならなくなる。
夜のつきそいのあと、朝の食事をサポートし、
それがおわると8時半には職場をあとにした。

サッカーの元日本代表監督のオシムさんは、
遠征でとおくの国へでかけたとき、時差に適応するために、
空港につくと、ホテルへむかわず、まず練習にとりくんだ。
からだをうごかすことで、時差ボケをリセットできるという。
それにならって、わたしもジョギングしようとしたけど、
いうはやすく、おこなうのはたいへんだ。
とてもジョギングにでる余裕はなく
たおれるようにベッドにもぐりこんだ。
そのまま90分からだをやすめる。

目がさめても、ぼーっとしたままだ。
ジョギングではなく、あるいてかいものにでることにした。
いつもなら自転車でいくコースを、ききのがし配信の
「ジャズ・トゥナイト」(NHK-FM)をききながら
ゆっくりあるいてスーパーへむかう。
曲よりも、大友さんのあついかたりがここちよい。
とまりあけのリセットには、散歩、そして、
それにつづくひるねがわたしには有効だ。

道をあるくひとのほとんどがマスクをつけている。
自動車にひとりでのっていても、
マスクをつけているひとがおおい。
まえは、人ごみのなかにでるときはマスク、
郊外を散歩するときはマスクなしでも可、
という雰囲気だったのに、このごろはもっとシビアだ。
朝日新聞の川柳に、
人前で外すは脱ぐに近くなり

という作品がよせられていた。
マスクは「はずす」、というよりも、
下着をぬぐ感覚にちかくなっている。
口もとをひとまえにさらすのは、
パンツをぬぐにひとしいはずかしさを
おぼえるようになりつつある。
島根県でさえ下着感覚になっているのだから、
都会は さらにきついプレッシャーにさらされているのだろう。

スーパーにはいるときは、もちろんマスクをもとめられる。
わたしのはなんちゃってマスクなので、
ズボンのポケットからしわくちゃになったマスクをとりだす。
アルコールでの消毒は、手があれてきたので失礼する。
ほんとうに新型コロナウイルスの感染をふせぐには、
わたしのマスクや手の消毒は ザルみたいなものだ。
都会のように感染者がふえれば、
わたしなんかはすぐに発病しそうだ。
島根に生きるしあわせをかみしめる。

昼ごはんのあとに90分のひるね。
これでとまりあけのリセットは完成で、
夕方には予定どおり9キロのジョギングにでる。
いちどとまりをたのまれると、
からだをもとにもどすのがあんがいたいへんだけど、
それだけに、とまりをおえたあとは 開放感がすごい。
まさに、生きてるだけでまるもうけだ。
平凡な日常生活が、いかにしあわせかをおもいしる。

スポンサードリンク



posted by カルピス at 21:13 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: