ゴンチチがうけもつラジオ番組
「世界の快適音楽セレクション」(NHK-FM)は
土曜日の午前9時からの放送で、
この時間にわたしはジョギングしていることがおおく、
気になりながらも なかなかきけずにいた。
すこしまえからこの番組も「聞き逃し配信」の対象となり、
さらに月曜日の夕方には再放送もおこなわれるようになった。
快適な音楽と会話を 耳にする機会がふえて よろこんでいる。
というようなことをしりあいにはなしたら、
ホイっとこの本をかしてくれた。
わたしはどちらがゴンザレス三上で、
どちらがチチ松村かもわからない初心者なので、
この本をきっかけに、ゴンチチへの理解をふかめたい。
「どちらが」問題はすぐに解決した。
番組で、「ところでな」と強引にはなしをきりだすのが
ゴンザレス三上さんで、いまさらながらの質問に、
うきよばなれした返答をするのがチチ松村さんだった。
番組をきいていても、チチ松村さんはいかにも自然体で、
そこらへんが茶人につうじるところかもしれない。
チチ松村さんが茶人にひかれたのは、
桂吉朝さんの落語をききにいったときだという。
その題目『仔猫』の中で、誰も目をつけない変わった女の子を嫁さんにしたいという男の人が出てきます。
その男の人のことを、皆が「あんさん、茶人でやすなあ!」と叫んだのです。僕はその「茶人」という言葉の響きとニュアンスに、ビビビッとシビれたのです。
「茶人」とは、たしかにいい目のつけどころだ。
チチ松村さんのいう「茶人」とは、
茶道をたしなむひとではなく、
自分に正直なひとのことだという。
自分に正直とは、たとえば鼻毛をぬいたとき、
「オオー」と声をだすことだそうで、
あんがい「茶人」へのハードルはひくい。
わたしも茶人になれるだろうか。
「茶人の心得10か条」の先頭にくるのが
「風流に生きる」で、いかにも もっともらしいけど、
ここでの「風流」は、「風に流されて生きる」ことをさす。
「できるだけ我を捨て、自然のままに流される」
というから、簡単そうにおもえて奥がふかい。
なにごともきめることがにが手なチチ松村さんは、
いつしか自分がなにかをきめるのではなく、
ながれにそって生きていたら、
てきとうなところにおちつくことに気づいた。
すべては風が決めてくれるわけですから、自分になんの責任も感じることはないのです。したがって後悔も存在しないというわけです。
この本をよんでいると、いろんなことにこだわるのが、
いかにもつまらなくおもえてくる。
ただでさえ、ひくいほうへ、らくなほうへと
ながれやすいわたしだけど、
この本の影響で、もっとヘラヘラ生きるようになりそうだ。
この本をよむと、「茶人とは」、が
なんとなくわかってくるしくみになっており、
そのしあげが 本のさいごをかざる 中島らもさんとの対談だ。
チチ松村さんの「茶人」が、はたして世間に通用するかどうか
おすみつきをあたえるのが奇人のらもさんで、
らもさんは はたしてどんなコメントをくわえたか。
チチ松村さんは、まいばんリアルな夢をカラーでみるという。
ひとばんじゅうウーウーとうなされ、
へとへとになっておきるのだから、ねるのもたいへんそうだ。
そのかわり、現実が夢のよう、というのがおかしい。
毎日毎日が楽しくてしょうがありませんし、そんなに苦労や不幸なこともありません。
わたしも茶人になりたいとおもった。
スポンサードリンク