2021年05月28日

現代の男性より、よほど生活力があった海軍の軍人

朝日新聞に連載中の小説
『また会う日まで』(池澤夏樹)をたのしみにしている。
日本海軍の軍人である秋吉利雄が主人公で、
ちかぢか再婚するすることになった。
きょうのはなしでは、相手の女性が、
「式の前に一度お宅に伺ってお義母さまに教えていただきたいことがあるのですが」
といいだす。
自分は料理ができないので、ということだ。

「ではまずわたしが教えてあげよう」
と秋吉はこたえた。
海軍軍人は一通りのことは自分でする。あなたのように和裁はできないが洋裁ならば洋子の服くらいは縫える。料理は日曜日の晩にしばしば担当する」
「なんと心強いこと」
「縫い物で言えば、艦の勤務では釦付けなどに兵を呼ぶことはしない。自分でするのが常識。編み物が上手で、航海中に妻のセーターを編み上げてそれを土産に帰港する者もいたな」

中佐ぐらいのえらい階級だと、
なんでもおつきの兵士にやらせそうだけど、
この小説にかいてあることが事実なら、
当時の海軍には、「自分でするのが常識」
という文化があったのだ。
小説の舞台は太平洋戦争がはじまるすこしまえだ。
この時代、秋吉のように裁縫や料理をやる男性ばかりとはおもえない。
ただ、時代がどうあれ、自立した成人として生きようとしたら、
おのずとなんでも自分でやる人間にならざるをえない。
2021年でも、料理をするひとはするし、しないひとは徹底的にしない。
コンビニやスーパーで、なんでもかえるのから、
自分でやる必要はない、というかんがえ方もある。
「日曜の夕方、わたしが台所に立ってまず何をするか?」
「なんですか?材料の吟味とか?」
「いや、包丁を研ぐのだよ。虚心坦懐に、気持ちがいいものだ」

わたしの包丁が、あまりにもきれなかったから、だめもとで
配偶者の砥石をつかい それっぽくといでみた。
ただしいやり方はしらないので、
20回ほどなんとなく包丁を前後にうごかす。
たったそれだけで、包丁が劇的にきれるようになったのでおどろいた。
包丁をとぐなんて、すごくむつかしい仕事かとおもっていたのに、
じっさいは、おどろくほどかんたんだ。
よのなかのことも、すべからず、こうであるといいのに。
というわけで、秋吉氏ほど「虚心坦懐」にとりくまなくても、
包丁をとぐのはたいした仕事ではない。
それに、料理のまえはいつも包丁をとごうとしたら、
いっぺんに料理のハードルがたかくなってしまう。
秋元氏の再婚相手が、やっぱり料理はやめた、
なんていいださないといいけど。

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posted by カルピス at 22:14 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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