2021年05月29日

『地下鉄道』ありえたかもしれないパラレルワールド

『地下鉄道』
(コルソン=ホワイトヘッド・谷崎由依:訳・ハヤカワepi文庫)

奴隷少女のコーラは、おなじ農園ではたらく少年に
北の州へ にげないかと はなしをもちかけられる。
時代は南北戦争まえのアメリカで、南部の州が舞台だ。
当時、白人のなかにも、黒人を支援する秘密の組織があり、
比喩的に「地下鉄道」とよばれていた。
地下鉄道は、じっさいにあった組織だそうだけど、
あくまでも比喩的な意味での「鉄道」であり、
列車がはしっていたわけではない。
作者のホワイトヘッドは、比喩としての鉄道を、
じっさいにはしさせることで、黒人たちを
北の州へにがそうとした。

なかった鉄道をはしさせるといっても、
この小説はSFではなく、「地下鉄道」以外は
史実にもとづいているパラレルワールドだ。
コーラは地下鉄道にのって、なんとかジョージア州から
ノースカロライナ州へとたどりつく。
そこは、いままでいた農園とはくらべものにならないほど
黒人の権利がまもられている。
ひとりの人間として、まなび、はたらくよろこびを
コーラははじめてかんじ、しあわせにくらしはじめる。
しかし、楽園のようにおもえたノースカロライナ州も、
つきひがたつうちに、黒人への差別が本質的には
ジョージアとおなじ構造だとコーラは気づく。
黒人に協力する白人は、まわりから弾圧をうけ、
家をやかれたり、木につるされたりする。どこまでにげても、
白人が絶対的に優位な社会であることにかわりはない。

アメリカの黒人差別問題は、いまでも社会面でよくとりあげらえる。
せんじつも、「ブラック・ライブズ・マター」が話題になった。
黒人への根ぶかい差別があることを、
わたしはわかったような気になっていたけど、
なにもしらないにひとしいことが、この小説をよむとわかる。
コーラのおばあさんにあたる世代が、
アフリカからむりやりアメリカにつれてこられ、
人間としての尊厳が、まったくみとめらない農園での労働。
やといぬしの気分しだいで、ムチでうたれたり、
うりわたされたり、さらにはなぐりころされたり。
動物以下の存在としてスタートしている黒人への差別感情が、
かんたんにはなくならないだろうと この本をよみながらおもった。

これでもかと、黒人への差別をえがきながらも、
コーラが希望をみいだすところで本書はおわっている。
けしてなまやさしい人生ではなかったけど、
コーラはさいごまで自分をしんじ、たたかい、
ついにはあたらしい土地への旅につく。
にげつづけるコーラを応援せずにはおれない、
スリルにみちた第1級の作品にしあがっている。

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posted by カルピス at 21:55 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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