という記事が6月3日の朝日新聞にのった。
哲学・倫理学者の古田徹也・東大准教授に聞きました、とある。
まぜ書きは、かたほうが常用漢字でないため新聞にはつかえず、
しかたなくかたほうだけ漢字、という奇妙な形になっている。
わたしは できるだけ漢字をつかわないで
日本語をかきたいとおもっており、
「まぜ書き」は苦肉の策としてみとめるものの、
できればほかのことばにおきかえたほうがいいとおもう。
おきかえられないから、いまも「まぜ書き」がのこっている、
というかんがえ方もあるそうで、
漢字をつかおうとすると、こうした問題が
どうしてもでてくるため、できるだけ漢字をつかわない、
という原則をまもりたい。できればひらがなで、
それに抵抗があるなら「まぜ書き」のほうがまだまし、
というのがわたしの方針だ。
ところで、「交ぜ書き」というかき方は、
この記事でいう「まぜがき」ではなく、
おくりがなをふってあるだけだけど、
こっちのほうがよほどどわたしは気になる。
「交ぜ」って、すごくうつくしくない。「まぜ」のほうがいい。
古田氏は、漢字をつかう実用的な利点として
よみやすさをあげている。
「ちゅうちょなく実行する」と「躊躇なく実行する」をパッと見比べた時、どちらがより読みやすいか。漢字は平仮名に比べて「固まり」として目に入ってくるため、見た瞬間、言葉の意味がつかみやすいでしょう。
とはいえ、「躊躇」をなにもみなずに漢字でかけるひとは、
あまりいないのでは。
「ためらわずに」といいかえればいいようにおもう。
「見た瞬間、言葉の意味がつかみやすい」は
たしかに漢字の特性だけど、そのアドバンテージだけでなく、
まなびにくいという不利益についてもかんがえると、
できるだけ むつかしい漢字は
つかわないほうがいいと わたしはおもう。
また、たとえば「蔓延」の「蔓」は、草かんむりの時からも分かるように、草やツルがのび広がることを意味しています。平仮名にすると、こうした漢字の機能がなくなり、元の意味をたどれなくなる。1千年単位の歴史をもつ漢字の意味成り立ちのトレーサビリティー(元をたどれること)が失われることになります。
もとの意味をたどれることに、どれだけの価値をおくかで
ここらへんはかわってくるだろう。
「蔓」にかぎらず、漢字のおおくは
たどろうとすれば元の意味をしることができるのだろうけど、
それが必要かどうかはこのみの問題になってしまう。
もとの意味をたとえたどれなくても、
かけもしない「蔓」という字を わたしはつかいたくない。
まったくはなしがそれるけど、ここまでかいていて、
デイリーポータルZの地主さんの記事をみていたら
(「今が旬! 多摩川沿いで鮎の和菓子を食べる」)、
多摩川をまえにした写真に、「たま川」という看板があった。
https://dailyportalz.jp/kiji/ayu-sweets-by-the-tama-river
常用漢字でも、あえて「まぜ書き」にしている。
さらによみすすめると、狛江にあるお菓子屋さんの名前が
「志むら」とあった。自分からわざわざ「まぜ書き」にしている。
こうなると、常用漢字ではないから「まぜ書き」では、
説明がつかなくなる。
あんがいおおくのひとが「まぜ書き」に抵抗がないのでは。
わたしは、おくりがなが必要なときは漢字をつかわず、
原則的にひらがなでとおしている。
地主さんの記事でいうと、「沿い」は「ぞい」で、
「食べる」は「たべる」だ。
でも、おおくのひとは、おくりがなをつけて漢字をつかっている。
「食べる」だって「まぜ書き」みたいなものではないか。
「まん延・改ざん・ねつ造」という「まぜ書き」に
そんなにめくじらをたてなくても、とわたしはおもう。
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