言語学者の庵功雄(いおりいさお)さんへ
インタビューした記事がのっていた。
「(やさしい日本語は)『日本語が乱れる』
と違和感を抱く人もいるようです」、
というといかけには、
「『やさしい日本語』は、外国人との会話のための道具です。日本人としては、場面に応じて使い分ければいいので、これだけで日本語が変わることはないでしょう。公共の場の英語表記と同じようなもので、日本語ネイティブがめくじらを立てる必要はないと、私は思います」
「少子化と人口減少に悩む日本にとって、日本人と同等の給料を稼いで税金を払い、家族で暮らす外国人を増やすことは極めて重要です。子どもたちにはさらに大切で、遅くとも高校卒業時に同年代の日本人と同じ日本語レベルに達していないと付加価値の高い職業にはつけない。不必要な難しさをそぎ落とした『やさしい日本語』をステップにして一定レベルに追いつけば、あとは自力で知識を得ることができます」
「やさしい日本語」と、ただしい日本語の、
ふたつが 断絶して存在するのではなく、
まず「やさしい日本語」をつかえるようになれば、
そのあとは自力で知識や語彙をふやしていける。
「例えば中国語は方言が多く、地域で言葉が違うことを前提としているので、発音や文法の間違いに寛大です。(中略)英語はすでにネイティブだけのものではありません。中国語も英語もいわば『寛容な言語』であり、そんな国際語に日本語も近づくべきだと私は思います」
これとおなじことを、梅棹忠夫さんもいっていた。
日本語をはなすひとが世界じゅうでふえれば、
みだれた日本語や、文法的にまちがった日本語を、
目や耳にする機会がふえていくだろう。
これからの日本人は、そうした「おぞましい日本語」に
たえるだけの寛容さが必要となる。
「『やさしい』には、『易しい』と『優しい』の両方の意味が込められています。実際のコミュニケーションでは、どうしたら相手に伝わるだろう、と思う気持ちが最初にあるはずです。耳が遠い高齢者や語彙が少ない子どもに対して、わたしたちは言葉を調整して話しています。それが、まさに『やさしい日本語』です。外国人に対してだけではなく、ハンディを持った多くの日本人にとっても、やさしい言葉なのです」
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