2021年06月19日

「ノーサイン野球」をわたしもみたい

5月下旬から6月にかけて、
サッカーのU-24と、A代表の試合が9試合おこなわれた。
新型コロナウイルス対策として、無観客試合だったため、
コーチングスタッフの声がよくきこえる。
まるで子どもの試合に大人がアドバイスをしてるみたいで、
じつにこまかく指示をあたえている。
選手同士が声をかけているのがきこえないくらいだ。
「そうそう」「サイドがあいてる」「それでよし」
子どもの試合でも、このごろは
大人が口だしをしない、というながれができつつあるのに、
プロの試合でもこれかー、というかんじだ。

きょうの朝日新聞に、安藤嘉浩氏による
「ノーサイン野球の本質」という記事がのった。
 1年生部員が送りバントをファウルして、「しまった」という顔をすることがある。「うちはノーサイン野球やで。自分で決めてバントをしたんだから、言い訳みたいな表情をつくらなくていいよ」と大原監督は諭すという。むしろ次の一手を考えよう。またバントしてもいいし、打って出てもいい。結果的に粘って四球を選べば、送りバントよりもいい結果じゃないか。
 「それがノーサイン野球の本質です。小学生が理解して実践するには、時間と指導者の我慢が必要になる。だけど長い目で見たら、子どもにとってプラスになるはずです」

監督の顔色をうかがってのプレーより、
自分でかんがえる野球をわたしもみたい。

すこしまえには、サンフレッチェ広島の城福監督が、
なぜ飲水タイムをとらないかについて、
朝日新聞のコラムがとりあげていた
(「飲水タイム」広島が取らぬ理由・吉田純哉)。
飲水タイムとは、コロナ禍での特別ルールで、
選手たちがペットボトルを共有せず水をのめるよう、
前半と後半に1回ずつもうけられている。
今季からは両チームが合意すれば、
飲水タイムをとりいれなくてもよくなった。
飲水タイムは、監督が指示をあたえる時間にもなりがちで、
ハーフタイムみたいに、飲水タイムのまえとあとでは、
チームのいきおいがかわる試合がみられた。
城福監督は「連続したサッカーの場面を見せていく志を持っている」と語る。清水のロティーナ監督も「飲水はサッカーの魅力を損なう」と同意する。
 「飲水」による1分近い中断は、試合の流れを止めてしまう。作戦タイムとして重要視するクラブもあるなかで、城福監督は試合の中身を濃くして、観戦する側の喜びを大事にする。

城福監督の志に拍手をおくりたい。

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posted by カルピス at 17:24 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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