2021年06月26日

朝日新聞土曜日版beにのった「看取り」2題

今週の朝日新聞土曜日版beに、みとりについて
2つの記事がのっていた。
ひとつ目は、小谷みどりさんによる、
「これからは『ひとり死』時代がやってきます」というもの。
理由は死亡年齢の高齢化で、
20年まえは男性の2/3が70代で亡くなっていたのに、
いまは54%が80歳以上まで生きている(女性は75.8%)。
 親が90歳になるころには、親のきょうだいや友人も亡くなっているか、介護や看護が必要な年齢です。子ども自身が高齢者の仲間入りをし、親を介護できる健康状態ではなく、経済的に支えるのも厳しくなっている可能性があります。今後は「老いては子に従え」ではなく、「老いた時には子どもも老いている」という状況に突入します。

たしかに、親の兄弟たちの高齢化は、死ぬときにも影響する。
わたしの母(89歳)は3人姉妹のまんなかで、
姉は股関節の骨をおったのをきっかけに入院し、
2年まえからは老人施設にはいっている。
妹は、先日これまた股関節の骨折で入院し、今月に退院したところだ。
親戚がげんきなうちは、母になにかあったとき、
家族だけでおくります、とはなかなかいえないけど、
いまみたいに、まわりが年をとり、からだの自由がきかなくなると、
自分のことで精一杯となり、そううるさいことはいわないだろう。
みとる側のわたしは、母と年齢差が30あるので、
「老いた時には子どもも老いている」ほどではないとしても、
これが70歳で、「介護や看護が必要」となれば、
ますますこれまでどおりの みとりや葬儀はできなくなる。

もうひとつの「みとり」は、
柴田久美子さんがはじめた「日本看取り士会」についての記事。
柴田さんは、「看取りを専門にする職業『看取り士』を作り上げ、
世に広め」ている。
 余命告知をされた患者の自宅などを訪問し、24時間態勢で寄り添う。手を握りながら、肩を抱きながら、思いや悩みをじっくり聴く。看取り士の誘導で、家族は患者にひざ枕をして手を握る。「ふれあうことで、死が温かいものとして、残された家族の心の中に宿っていくのです」。ネガティブな感覚でとらえられがちな「死」について、「敗北ではなく、次世代費のギフトである」と、とらえる。

わたしは自宅で死にたいとおもっているけど、
ひとりでポックリはさみしいし、死んでから
まわりがこまるのはもうしわけない。
「看取り士」にだかれ、ことばをかわしながら死ねたら、
死をそれほどおそれなくてもいい気がする。
まえに歯がいたくてつらい夜をすごしているとき、
ネコのピピがそばについていてくれて、
ものすごく安心できたことをおぼえている。
死ぬときも、「看取り士」とまではいかなくても、
ネコがいっしょにいてくれたら ずいぶんちがうのではないか。
ちゃんとわたしを「みとって」くれるネコに
いまいっしょにくらしているココとプリンはそだってくれるだろうか。

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posted by カルピス at 16:14 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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