家庭を舞台にした6編からなる短編集で、
2話と6話には、どちらも会社に身もこころもささげ、
ながねんはたらいてきた男性がでてくる。
なんてかくと、ガチガチの会社人間をイメージするするけど、
ようするに「ふつう」の大企業であり、
日本ではめずらしくない男性社会の会社が舞台だ。
おおきな会社ではたらいたことのないわたしには、
男性社会として、しくみができあがっている会社が、
きわめて異様な姿にうつる。
「正雄の秋」は、同期との出世レースにやぶれ、
局長にえらばれなかった53歳の男性(正雄)が、
そのショックからすこしずつたちなおっていくはなしだ。
おおきな会社において、役職をえるということが、
どういう意味をもつのかが、わたしにはよくわからない。
なぜそんなに正雄がちからをおとすのか 不思議におもえる。
日本の大会社や公務員、それに銀行なども、正雄がつとめる会社と
おなじような価値観のうえになりたっているのだろう。
奥田さんの小説にでてくる男性をみていると、
日本の会社の特異性をかんじないではおれない。
正雄はまだ53歳なのに、同期の河島が局長にえらばれたということは、
自分がこれから閑職にとばされることを意味する。
退職する60歳までの7年間を、このさき
どうすごせばいいのかと、正雄は途方にくれる。
まだ53歳なのだから、これからなんでもできそうなのに、
正雄は53歳という年齢で はやばやと会社から
引導をわたされたようにかんじている。
なぜ自分ではなく河島を役員たちはえらんだのか。
自分は これから河島のまえでどうふるまえばいいのか。
正雄は、家のことなどまるで できない。
ぜんぶ妻の美穂が世話をやいてくれ、
それがあたりまえだとおもって これまではたらいてきた。
ふたりだけでなく、正雄がつとめる会社のひとたちも、
ぜんぶその価値観ではたらき、生きている。
6話の「手紙に乗せて」も、舞台はちがいながら、
男社会の価値観が できあがった会社、という点はおなじだ。
亨の父親は、妻を脳梗塞でうしない、
そのショックから なかなかたちなおれない。
げんきがないし、食欲もなく、だんだんやせていく。
亨は、職場の上司に父親のことをはなす。
その上司も、数年まえに配偶者をきゅうな病気でうしなっており、
亨の父親へ ふかい理解をしめし、はげましの手紙をかく。
もちろん配偶者をうしなえば、どうしようもないかなしみに
おおくのひとが、身もこころも ちからをうしなうだろう。
でも、亨の父親と、亨の上司が、こころをかよわせられたのは、
会社人間というバックボーンがあるからこそ、
という点がすけてみえるてくる。
ふたりは、会社人間という共通点から、
おたがいの境遇に理解がおよび、相手のつらさによりそえる。
男性中心の社会ができあがっている職場というのは、
病人の集団みたいなもので、女性職員もまた、
その価値観にのみこまれて生きているのが 不思議だ。
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