サマーキャンプものがあたまにうかんできた。
夏やすみがはじまると、チャーリー・ブラウンは
サマーキャンプに参加しなければならない。
チャーリー・ブラウンは、親たちが、
あたまからサマーキャンプはたのしいところ、と
きめてかかっていることにうんざりしている。
夏に自然のなかで、同年代の子どもとあそぶのは、
たのしいにきまっていると、大人たちはうたがわない。
彼は、みんなとワイワイやるタイプではないのに、
夏になったら子どもは子どもどうしであそぶもの、と
おとなたちはしんじている。
そうしたおとなの無理解が、
チャーリー・ブラウンにおもくのしかかる。
かといって、全面的に反旗をひるがえせるはずもなく、
毎年おなじようにモンモンとサマーキャンプまえの
気のおもい日々をすごすチャーリー・ブラウン。
そんなチャーリー・ブラウンが、
いつものように しぶしぶサマーキャンプにでかけると、
自分とにたようなタイプ、つまり、
ひとりですごすのがすきな女の子としりあいになる。
でも、さいごまでうまくはすすまず、けっきょくいつものように
さみしいサマーキャンプでおわったようにおぼえている。
チャーリー・ブラウンは、そういう星のしたに
生まれてきたとしかいいようがない。
ハッピーエンドとは縁のない人間なのだ。
子どもたちをサマーキャンプにおくりだす大人たちは、
善意だけに、チャーリー・ブラウンをさらにおちこませる。
きゅうにチャーリー・ブラウンの
サマーキャンプものをおもいだしたのは、
日本の学校になじめず、つらいおもいをしている
外国人の子どもたちの番組をみたからかもしれない。
日本語がうまくはなせないので、
クラスメートとコミュニケーションがとれないし、
なにかの授業で「5人グループをつくって」とか
先生が指示をだすと、どうしてもその生徒があまってしまう。
番組では、机にすわったまま、
つらい時間をやりすごす生徒をカメラがおっていた。
わたしもまたそんな生徒のひとりだったので、
自分がいやだった学校生活をおもいだし、
頭のなかでサマーキャンプにくみかえたのではないか。
さいわい日本には、半強制的に参加しなければならない
この手のサマーキャンプはなく、夏やすみだからといって、
特別な企画におびえることはすくなかった。
チャーリー・ブラウンは、サマーキャンプを
まいとし体験しなければならず、
大人への不信感をすこしずつ つみあげていった。
夏にはいり、つらい時期をすごしている若者がいたら、
あなたが特殊なのではなく、おなじように
うまくやれないひとがいることをしらせたい。
チャーリー・ブラウンのサマーキャンプものは、
夏をたのしい時期ときめつけている大人に、
うんざりしている子どもがいるのだとおしえてくれる。
サマーキャンプをたのしめなくても大丈夫。
チャーリー・ブラウンみたいに、きっとなんとかやっていける。
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