東京オリンピックに反対の立場をとるわたしは、
サッカー以外はスルーするつもりなのに、
「争わない 自由に 自然に」
という小みだしにひかれ記事をよんだ。
”争う”空気がない。
のだという。
西矢や中山(銅メダル)、銀メダルを獲得したブラジルのライッサ・レアウ(13歳)は互いの技が成功すると拍手を送り、転倒すれば、自分のことのように悔しがった。フィリピンのマルジエリーン・ディダル(22)は腕を痛めた西村蒼利(19)を気遣い、声をかけた。年の差も国籍の違いも、感じさせなかった。
競技の間、ずっと笑っていたことを問われて、西矢は「自然と」と答えた。母 智美さん(39)は「単純に、めっちゃ楽しいんだと思います」と代弁した。
すばらしい。これこそスポーツのあるべきすがたであり、
理想となる到達点ではないか。
もし新型コロナウイルスがなくても、
商業主義がはばをきかせるいまのオリンピックは、
メダルとか かち・まけにこだわりすぎて
末期的な症状をさらしている。
いまやサッカーのようなメジャーな競技は、
数十億円がうごくビジネスになりはて、
柔道はあいかわらず根性の世界みたいだし、
だれかがメダルをとれば、裏にかくされた
ものがたりをメディアがひっぱりだして感動をさそう。
競泳だっていろんなものがくっつきすぎて、
とてもまっさらな気もちでレースをみられない。
そんなオリンピックにうんざりしていたら、
西矢さんたちスケボーの選手は、
まったくちがう価値観をあらたにしめしてくれた。
こんなにうつくしい友愛の精神が
スポーツの世界にまだのこっていたとは。
しばらくまえに朝日新聞がつたえた
将棋の藤井聡太さんについての記事は、
藤井さんのつよさについて分析している。
藤井さんは相手にかとうとか、まけないように、
とかおもって対局しているのではないそうだ。
連勝記録や最年少記録にも興味はなく、
つよくなることで、ちがう景色をみたい、というのだから、
発想からしてほかの人間とはちがう。
いい将棋をさしたいとか、将棋の真理をきわめたい、
という気もちなので、邪念がはいらないのだろう。
西矢さんや藤井さんのように、あらそわない姿勢で
競技をたのしむことはわたしにもできる。
なにも一流の技術がなくても、相手のことをおもいやり、
自分なりのベストをつくし、対戦をこころからたのしむ。
あらそわない世界がどれだけすばらしいかをおしえてくれる、
スケボーの選手たち、そして藤井さんに拍手をおくりたい。
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