2021年07月28日

ゴンチチの会話は「そーですねー」とまずはうけるのが基本形

ゴンチチの「世界の快適音楽セレクション」(NHK-FM)は、
ながされる曲だけでなく、おふたりのとぼけたやりとりに
妙な魅力がある番組だ。
いろいろな曲をかけ、それについて、
まずはおたがいに感想をのべるのだけど、
たいていの場合、いっぽうが演奏や歌声をべたぼめし、
あいかたは、それについて「そーですねー」と
こころからの同意ではない いいかたでかえす。
「そーですねー」が絶妙な「うけ」であることに、さいきん気づいた。
けして、まっこうからあいての意見を否定することはなく、
なにか歯にいちまいありそうな「そーですねー」だけど、
「そーですねー」といいながら、
あいての感想のうえに、自分のイメージをのせていく。
ほんとうは、おたがいに ちがうおもいでいるようなのに、
「そーですねー」とまずはうけいれることで、
なんとなく会話が成立し、「おもしろかったですね」
「よかったです」と いいところにおさまっていく。

おふたりの会話をきいていると、いかにも日本人的なやりとりで、
相手の発言を否定せずに、自分の感想をちゃんとつたえている。
ほんとうはビミョーにかんがえがずれていても、対立することはなく、
なんだかんだで、はなしがまるくおさまっていく。
達人どおしの会話だからうまくいく、というのもあるけど、
日本人のやりとりって、こんなかんじで、あいてをたてながら
着陸地点をさぐりあうのが むいているのでは、とおもった。
欧米人がやるディベートのように、
あいてを論破するのが目的のやりとりではなく、
おたがいにカドがたたない関係をたもちつつ、
ちゃんと自分のつたえたいことは くちにしている。
「そーですねー」と、まずはいったんうけとめること。
そのうえで自分の感想とすりあわせ、おとしどころをみつける。

ひとはとかく「わたしが、わたしが」と、
自分を中心にかんがえやすいのに、
おふたりのやりとりは、感想をのべつつも、
自分の意見ばかりを主張したりしない。
そこからうまれる余裕のあるやりとりが
この番組の魅力となっているのだろう。
おおくのひとが、「わたし」中心の発想につかれているのだ。
きのうの記事にかいた、スケボーの西矢さんも、
わかくしてこの境地にたっしているひとなのではないか。
西矢さんだけでなく、トップレベルのスケボーの選手たちは、
みな あらそう空気がない、というから、
そういう価値観を共有する世代が そだちつつあるのかもしれない。
自分中心からはなれたコミュニケーションが、
これからの主流になっていくとうれしい。

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posted by カルピス at 21:35 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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