(小川さやか・春秋社)
著者の小川さやかさんは、タンザニア本国につづき、
香港で商売をするタンザニア人を調査している。
この本は、学術的な報告ではなく、
エッセイという形をとっていながら、
内容はじゅうぶん文化人類学で、
タンザニア人のビジネスマンたちが、
どのようなコミュニティをつくり、
商売にいかしているかを、こまかくさぐっている。
なお、チョンキンマンションとは、
香港の中心部にあるふるいビルのことで、
民族料理のレストランや、ゲストハウスが
びっしりとはいりこんでいる。
香港についたバックパッカーは、
とりあえずチョンキンマンションをめざし、
やすい宿を確保するのがおやくそくだった(1987年当時)。
1階にはアフリカ系やインド系のひとたちがたむろし、
いかにも外国にきたことを実感させてくれた。
チョンチンマンション(重慶大厦)のボスとは、
タンザニア人のカラマ氏(以下、「カラマ」)のことで、
カラマは、中古自動車や自動車部品をあつかう
ブローカーとして香港でビジネスを展開している。
タンザニア人など、アフリカ人に中古自動車をうりたいものの、
信頼関係のなさにためらう香港・中国の自動車業者と、
やすい自動車がほしいけど、自分で香港から輸入するのはちょっと、
というタンザニア人とのあいだにはいり、
おたがいのニーズをおぎなうのがカラマの役割だ。
カラマたちは、仲間と「タンザニア香港組合」をつくり、
香港でビジネスをするタンザニア人
(だけでなく、ケニアやウガンダ人も)が
たすけあって生きるしくみをつくりあげている。
たとえば、香港でタンザニア人の仲間が亡くなったとき、
組合がうごいて組合メンバーに寄付をつのり、
本国へ遺体をおくる手つづきをすすめる。
その過程は完全に自由なはなしあいで、
集会では、個人とのおもいでを、はなしたいメンバーがかたり、
どんなに親切にしてくれたかをのべるうちに、
「ある種の連帯感が即興的に醸成され」る。
カラマが必要な経費のみとおしをたて、
その説明を受けて、現組合長のイッサが「一人1000香港ドル(約120米ドル)の寄付を募りたい」と提案した。売春を生業にしている女性から「香港で商売をしている者なら、それがどんなビジネスでも1000香港ドルくらいは用意できるはずだ」と声が上がり、それに同意する声が続いた。
その後にカラマは、各手続きを担当する者を順番に指名していった。寄付を集める係が四人、行政的手続きを担当する係二人、棺桶やエンバーミングの手続きを担当する係二人、家族との連絡係一人、中国のタンザニア人組合との連絡係ひとり。寄付を集める係が任命されると、すぐさまカンパ帳が回り始めた。
なんと ととのった組合であり、スムーズな連携プレーだろう。
強制ではなく、自由意志で、これだけの組合活動がおこなわれている。
「無理をしないこと」が基準であり、
最終的には「いろいろな事情があるんだから、
細かいことをいうのはやめようぜ」といった結論に落ちつく」そうだ。
香港でくらす、すべての外国人が、
タンザニア人のようにたすけあっているわけではない。
タンザニア人は、生粋の商売人で、
つねにどうやってかせぐかをかんがえている。
ひとのテリトリーにふみこまないけど、
協力できるところは協力しあう。
まったくしらなもの同士がであったときでも、
あいてがこまっていれば、そして自分にたすけるだけの余裕があれば、
ベッドをかしたり、食事をおごったりするのは
彼らの生き方において当然であり、
世話になったからといって、すぐにおかえしを気にしたりはしない。
自分のその余裕ができたときに、直接たすけてくれたひとにではなく、
みしらぬ同国人にたいし、手をさしのべたらいい。
わたしは、なにかプレゼントされたら、
なにをおかえししたらいいのかが気になってしょうがない。
はやく相手に それなりの品をかえし、おちつきたくなる。
ここらへんの心理がタンザニア人とはまったくちがうところで、
小川さやかさんは、彼らの商売が、どのような倫理のもとに
成立しているかをこまかくさぐっている。
カラマたちはスマホのSNSをつかい、ビジネスにつなげていく。
アルン・スンドララジャンは企業中心の現代は人類の歴史から見ればごく短期間にすぎず、産業革命までは大部分の経済的関係が個人対個人の形を取り、コミュニティに根ざし、社会関係と密接に絡まっていたと述べ、かつて存在した共有体験、自己雇用、コミュニティ内での財貨の交換が現代のデジタル技術によって復活しつつあるというのが、新規なもののように語られているシェアリング経済に対する正しい見方であると指摘している。
SNSの利用により、あたらしい方法がうまれたとおもっていたけど、
企業中心に社会がまわっている いまが特別なのであり、
産業革命までは、個人対個人でやっていた、
という指摘がおもしろい。
小川さんは、タンザニアの露天商を調査しているときに、
スワヒリ語を身につけ、こんかいのこの調査でも、
スワヒリ語ができるつよみをいかし、
ややこしくてふかい内容までを 自由にやりとりしてききだしている。
タンザニア人たちのコミュニティにはいりこみ、
仲間としてうけいれられ、スワヒリ語を自在にあやつって、
彼らのくらしをききだしている小川さんは すごくたのしそうだ。
小川さんにしか かけない本にしあがっている、といっていいだろう。
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