2021年08月30日

『モゴール族探検記』(梅棹忠夫)アフガニスタンを舞台に、66年まえにおこなわれた探検の記録

『モゴール族探検記』(梅棹忠夫・岩波新書)

アフガニスタン全土がタリバーンの支配におかれ、
事実上ひとつの国が崩壊した。
20年にわたるアメリカの介入はいったいなにをもたらしたのか。
アメリカ軍がずっとアフガニスタンにのこっても
うまくいくみこみはなかったとはいえ、
タリバーンがこれから民主的に国をおさめるとはかんがえにくい。
こんなにもあっけなくひとつの国がガタガタになってしまうとは。

アフガニスタンというと、
梅棹忠夫さんの『モゴール族探検記』があたまにうかぶ。
1955年におこなわれた探検で、梅棹さんたちの一行は、
アフガニスタンにあるちいさな村にとどまり、
モゴール語をはなす一族をさがそうとする。
モンゴルからとおくはなれたアフガニスタンに、
なぜモゴール語(モンゴル語)をはなすひとがいるのか。
地理的な探検のおもしろさとともに、
うしなわれつつあるモンゴル語をさがすという
民族学的な調査のようすが全編にえがかれている。

はじめてこの本をよんだときは、正直なところ、
いったいなにがかいてあるのか よくわからなかった。
なぜとおい国へでかけ、ふるいことばを採取したいのか。
北極点をめざすとか、地理的な空白地の探検とかではなく、
はじめてよむ学術探検であり、10代のわたしは
なんのことかピンとこないまま、ななめに「よんだ」。
この本のおもしろさがわかってきたのは、
はじめて手にしてから、10年以上たってのことだ。
本についている地図をたよりに 本文をよんでいくと、
探検隊がとおった道がよくわるとともに、
いま新聞やニュースで名前がでてくる地名も目にはいってくる。
本書のなかにはふれられていないけれど、
探検をおえてからカーブル(ママ)へもどるとちゅう、
梅棹さんはバーミヤンの遺跡もたずねている。
アフガニスタンは民族学的な宝庫なのだとある。
この探検は、アフガニスタンが平和だった時期に、
奇跡的に実行された探検といっていいだろう。

『モゴール族探検記』(岩波新書)は、
第1刷が1956年に出版されている。
もう65年もまえにだされた本だ。
わたしがもっている本は、1975年の12月20日に、
第25刷として発行されたものだ。230円としるされている。
もうなんどもよみかえしているし、古本でかったものだから、
いまではページがほつれ、よみづらくなっているので、
この記事をかくのをきっかけに、アマゾンで注文した。
アフガニスタンが注目されているいまだから、
この本にもふたたび関心があつまればいいのに。

「村の将来」と題して、梅棹さんは下記のようにのべている。
ほんとうをいうと、こういう問題を、問題としてとりあげるのは、まだちょっと早すぎるだろう。現在はまだ、アジアは国家的独立の時期であって、一国の中の諸民族、あるいは諸部族間の調整が問題になる時期には来ていない。しかし、大ていにおいてアジア諸国は民族国家ではない。ほとんどが複合民族国家である。それを構成する各民族の相互関係は、これからどうなってゆくのだろう。その調節が、つぎの時代のアジア史の課題になるのではないかと、わたしは考えている。(中略)
 世界はいろいろに変転するだろうが、ジルニー(梅棹さんが調査で滞在した村)はなかなか変わるまい。十年たっても二十年たっても、サンギ・マザールの連峰のふもとで、モゴールの農民たちは、かさかさの土を、そまつな農具で引っかきまわしているだろう。しかし、だんだんと部族間の交渉は深刻になってくるかもしれない。有能な村の指導者が、村をあやまちなくみちびいてゆくことを、わたしたちは祈っている。

歴史は、おおむね梅棹さんの予想どおりにすすみ、
アフガニスタンでくらすおおくのひとたちが、
混乱のなかでたちすくんでいる。
若干36歳の青年が、これだけ成熟した文章を記録したことに、
わたしはよむたびにおどろかされる。

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posted by カルピス at 21:31 | Comment(0) | 梅棹忠夫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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