2021年08月31日

寝袋はあたたかくなければ、という本質論がすき

ネパールのポカラにあるゲストハウス
「スルジェハウス」にとまっていたときのこと。
わたしはアウトドア用品にうとく、寝袋なしで旅行していた。
おなじ部屋にいたひと(スルジェにとまるのは、ほとんどが日本人)が
べつの町へ移動する朝、ベッドにひろげてあった寝袋を、
てきとうなやり方で袋につめこんでいる。
袋といっても、靴をいれる程度のおおきさしかない。
そんな袋に、おおきな寝袋がはいるわけないじゃん、
とおもってみていたら、あれよあれよという間に
袋のなかへと おさまってしまった。
あとでしりあいに そのときのことをはなすと、
羽毛でできた寝袋だったのだろう、とおしえてくれた。
高級なダウンは、おどろくほどコンパクトにまとまるそうだ。
あまりにもちいさな袋におさまってしまったので、
わたしは手品をみたときのように、ただおどろいてしまった。

部屋にいたなんにんかの旅行者で 寝袋が話題となり、
あるひとが、べつにいやみではなく、自分の体験として、
「でも寝袋はあったかくないと意味がないよね」
と、さらっといった。
どんなにかるくてコンパクトでも、あったかくない寝袋は、
寝袋としての用をはたさない、という意味だ。
もちろん夏用の寝袋もあり、季節により、
いろいろなつかい方があるのだろうけど、
夏の寝袋は、べつに寝袋である必要はなく、
寝袋カバーやシーツでも用がたりる。
寝袋が、ほんとうになくてはならないのは、
さむくてねむれない冬や秋だけだ。
わたしはそれほどシビアな旅をした経験がなかったけど、
「寝袋はあったかくないと意味がない」
のひとことは、機能を重視したとらえ方として
わたしの胸にふかくささった。

こういう本質論がわたしはすきで、
たとえば服はいくらかっこよくても、
あたたかくなければ意味がないし、
カバンは量がはいらなければつかえないとおもう。
たべものだって、おいしさよりも、
腹もちでえらんでいるところがある。
自動車は、ちいさくて、物があるていどつめたらじゅうぶんで、
おおきな排気量や、外国産の車に興味はない。
わたしの価値観、というかものごとの優先順位は、
いつだって機能重視だ。

こんなわたしだから、ファッションには当然うとい。
自分のことだけならまだしも、髪がながい女のひとをみると、
あらったり、かわかしたりがめんどくさいだろうに、と
よけいな感想がどうしてもわいてくる。
デザイン重視のちいさなカバンは、
もしかしたらたかいブランドものかもしれないけど、
量がはいらないのにおつかれさま、とおもう。
機能的でないものにたいし、ひどくつめたい目をむけがちだ。

お金よりも、ものに価値をおくのは、
おさないころによんだ『ロビンソン漂流記』の影響だろう。
いくらお金をたくさんもっていても、
灯油の一斗缶や、コメ一俵がもつ 説得力のまえでは影がかすむ。
お金ではさむさや空腹はいやせないけど(貨幣経済に背をむける男)
お米さえあれば、とりあえずお腹いっぱいたべられる。
世間はキャッシュレスへとかわりつつあるけど、
ほんとうに大切なのは、お金ではなく ものなのだとしんじている。

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posted by カルピス at 21:38 | Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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