2020年07月02日

レジ袋有料化がどんな影響をあたえていくか

きのうからレジ袋が有料となった。
きょうは仕事でクッキーをうりにでかける。
レジ袋が有料化になって、はじめての販売だ。
これまでだとたくさん(5袋ぐらいを)かってくれたお客さんには、
「袋はごいりようですか?」とたずねていたけど、
そんな気づかいがいらなくなった。
だれもがビニール袋をたのむとお金がかかるとしっているので、
袋をもとめるひとはいない。すごくスムーズに販売できた。

よくいわれているように、レジ袋が生態系にあたえる影響は、
全体からみると、ほんのわずかなものだろう。
ストローよりは意味がありそうだけど。
それでも、プラスチック製品が、環境によくないと
意識するきっかけにはなる。
ものをかわなければ、袋はいらないので、
これまでよりもかいものする量がへるのではないか。
新型コロナウイルスにより、自粛生活をやってみると、
どうしても必要なおでかけは、そんなにないのがわかる。
世の中は、やらなくていいことがおおいし、
かわなくていいものもまたおおい。
そうやって、ひとがうごかなくなり、
かいものしなくなると、経済的にはよくないのだろうけど、
環境からみれば、そうした生活のほうが、地球のためだ。

ただ、やらなくていいことこそ やってたのしいことで、
それを追求しているのが「デイリーポータルZ」だ。
このサイトのおもしろさは、やらなくてもいいことをやり、
いかけなくてもいいところへ でかけることにある。
コロナがひろがり、不要不急がさけばれているときでも、
「デイリーポータルZ」はどうでもいいことをやりつづけた。
必要なことしかできなくなったら、どれだけつまらないかを
コロナが気づかせてくれた。

環境についてかんがえ、徹底しようとするとかなりやっかいだ。
省エネルギーがいいにきまっているので、
電力をおおくつかう生活はよくない。
テレビ・エアコン・冷蔵庫はどれも電力をくう。
自動車をうごかすのもやめたほうがいい。
自動車をつくるのに、膨大なエネルギーがつかわれるし、
うごかすのにガソリンや電気が必要だ。
でも、あまりラジカルにはしると、生活にうるおいがなくなる。
環境保護について、自分に無理なくできることを
ながくつづけていくしかない。
その第一歩がストローだったりレジ袋なのだろう。
環境への意識が、より具体的になる。
ただしくても、できないことはあるし、
無理にもとめられると、気もちよくない。
どの線におちつかせるのかは、自分がきめる。

posted by カルピス at 21:57 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月30日

おとまりの仕事をキャンプごっこの気分でのりきる

このまえの土曜日は、仕事で職場にとまった。
仕事といっても、事務やなにかの準備ではなく、
ショートステイの利用者とのおとまりだ。
仕事だとおもうとたのしくないので、
キャンプごっこで気をまぎらすことにする。
もちろん職員用のふとんもあるけど、
キャンプだとかんちがいしたいので、
2ミリのうすいアルミマットをひろげ、
そのうえにデコボコのついたサーマレストのマットをしく。
まえにかっていたネコがつめとぎにつかったので、
マットとよぶのがかわいそうなほど 虫くい状態になっている。

野宿するのに、なによりも大切なのは、
寝袋ではなくマット、というのを
野宿伝道師のかとうちあきさんが
なんどもくりかえして強調している。
さむい時期の野宿では、したからのひえがなによりつらい。
いくらあたたかい寝袋にくるまっても、
マットに手をぬくと残念ないちやをすごすはめになる。
たとえ部屋でねるキャンプごっこといえども、
たたみのうえにじきにねたら、
つぎの朝はつかれがたまっているだろう。
かとうさんのおしえを忠実にまもり、マットをつかった。
といいながら、うえにかけるのは
寝袋ではなく、家からもっていった夏がけだ。
いまの時期、さむさよりもあつさのほうが問題で、
土曜日の夜もむしあつかったのでエアコンをつけた。
キャンプといいながら、エアコンをつけるなんて、
まったくどうかしてるけど、
もともと中途半端なこころみなのだ。
ご飯はコンビニでかったものだし、
お風呂だってふつうにはいる。
読書用のスタンドまでもっていったし、
パソコンだってある。
ようするに、マットをしいてねただけのはなしなのに、
気もちをあそび方向にもっていきたいために、
自分でキャンプ気分を演出したかった。
ヒロシさんのひとりキャンプの影響もあっただろう。

利用者さんは、夕ごはんのあとお風呂にはいり、
8時になるとふとんにもぐりこんだ。
そして、そのまま朝の6時すぎまでしずかにすごしてくれる。
そのあとは、わたしが自由につかえる時間だ。
わたしは、いちおう仕事として夜をつきそうので、
ひさしぶりにお酒なしの夜をすごした。
すこしぐらい、とちょっとまよったものの、
自分がアルコール依存症でないことを確認するために、
ひとばんだけでも自分の意思でのまずにのりきる。
さいわいに、お酒がほしいとはすこしもおもわなかった。
本をよみだしたものの、10時すぎにはねむけがやってきた。
家では12時をすぎないとねないのに、
この夜は10時15分にふとんにはいる。

とまりあけの日は、9時に勤務時間がおわる。
家にもどったわたしは、ずいぶんほっとしたのかがわかった。
ひさしぶりのおとまりで気づいたのは、
わたしは自分の家がだいすきという事実だ。
キャンプごっこするよりも、なれた自分の家、
自分の部屋でぬくぬくとすごしたい。
こんな性格の人間は、いくら野宿にむいた季節になったとしても、
外よりは家ですごすのをえらぶにきまっている。
わたしに必要なのは、ひとりキャンプにつきあってくれる仲間だ。
ヒロシさんはもとより、かとうちあきさんだって、
グループで夜をすごすものの、ねるのはひとりだ。
なかまとでかけるひとりキャンプのカテゴリーにはいる。
まえは、ひとりでなければ軟弱だとおもっていたけど、
そんなところで片意地をはらないで、
ひとといっしょにすごしたほうがここちいいときもある。
依存しなければ、自立もできない。

posted by カルピス at 22:12 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月29日

「死生観への郷愁」(佐伯啓思)にひかれる

27日の朝日新聞にのった
「死生観への郷愁」(佐伯啓思)にひかれた。
 今日、死生観などということは誰もいわない。だが、私には、どこか、古人のあの、人間の死という必然への諦念を含んだ「無常観」がなつかしく感じられる。少なくとも、古人は、その前で人間が頭を垂れなければならない、人間を超えた何ものかに対する恐れも畏れももっていた。そこに死生観がでてきたのである。

新型コロナウイルスがはやろうが、ガンにかかろうが、
ひとはいつかかならず死ぬ。
なにかおおきな病気をわずらったとして、
かんたんにあきらめなくてもいいけど、
こころのどこかに、ま、いつかは死ぬんだし、
というあきらめをもっていたほうが
おだやかなこころもちでいられるような気がする。
そして、ジタバタせずに さいごをむかえられるのでは。

『わすれられないおくりもの』(スーザン=バーレイ)
にでてきたアナグマの死をおもいだす。
http://www.suzuya-k.co.jp/okurimono.html
アナグマは、自分の年だと、死ぬのが、そう遠くはないことも、知っていました。
 アナグマは、死ぬことを恐れてはいません。死んで体が無くなっても、心は残ることを、知っていたからです。だから前のように、体がいうことをきかなくなっても、くよくよしたりしませんでした。ただ後に残していく友達のことが、余り悲しまないようにと、言っていました。

年をとれば、だんだんからだがうごかなくなる。
そしてある夜、アナグマは、自分がげんきにはしっている夢をみる。
すっかり自由になった気がしているうちに、
やがてトンネルのむこう側へといってしまったアナグマ。
年をとって死をむかえるのではなく、
病気になり、不本意ながら死んでいくのは、
またべつのつらさがあるだろう。
でも、アナグマは、人生のとちゅうでやってきた「死」にたいしても、
きっとこわがらずに病と死をむかえられるのではないか。

まちなかで、ひとごみにもまれているよりも、
自然にちかいところで動物とくらしていたら、
やがてくる死をうけいれやすいのではないか。
自分に死がちかづいたときに、
諦念をもってむかえられたかどうか、ぜひ記事にかきたい。

posted by カルピス at 22:10 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月28日

日記をつけるということ

「シゴタノ!」の大橋さんが、
日記をかいたほうがいい、とすすめている。
https://cyblog.jp/40942
大橋さんが、日記についてのポッドキャストをきき、
共感した内容について 紹介された記事だ。
「日記を書いた方がいい人と書かないほうがいい人がいる」
そうで、
「書かないほうがいいのはヒマな人」
その理由がいくつもならべてあり、
ヒマなひとは、けっきょく、
日記を書こうとしても、特に何もやってないので過去をほじくり返し始める

のがおもな理由のようだ。そうかもしれない。

もうひとつ感心したのは、
「日記は、事実2割:感想8割」という方針だ。
日記は事実だけを書いても面白くないので続かない
・日記というと何時に起きて何を食べて何をした、という出来事を時系列に書きがち
・こういう日記はあとで読み返しても面白くない
・読み返しても面白くない日記を書く=無意味な作業をすることになるので絶対やめたほうがいい

自分が何を思ったのか、どう感じたのかを書く
・主観的な感想
・偏見
・誰かに対する怒り
・すごくうれしかったこと

「時系列に書きがち」は、まさしくわたしのことで、
時系列に、なにをしたかだけをかき、
感想にはほとんどふれていない。
こうしているのは、梅棹忠夫さんからの影響で、
『知的生産の技術』に、
日記というのは、要するに日づけ順の経験の記録のことであって、その経験が内的なものであろうと外的なものであろうと、それは問題ではない。日記に、心のこと、魂のことをかかねばならないという理由は、なにもないのである。

とかかれていたのにすっかり感心したからだ。
そして、業務日誌のような記録ばかりをつけるようになる。
業務日誌のような日記にするか、「事実2割:感想8割」にするかは、
なにを目的として日記をつけるのか、によるちがいだ。
大橋さんが紹介しているのは、
日記をかくのがすきでたまらないひとのやり方だ。
このような日記は、あとからよみかえして、成長を確認したり、
おもったことをすべてかくことで、
こころの整理をするためにつけられている。
日記は自分の内面を見つめる重要な作業 、
というかんがえが、基本にある。

わたしは「ほぼ日手帳」に日記をつけており、
デジタルとしてはscrapboxをつかっている。
ほぼ日手帳のほうには、業務日誌的な内容が中心で、
多少の感想と、おもいつきをかいている。
scrapboxには時系列になにをしたかだけをかく。
もうひとつ、まいにち更新しているこのブログも、
ひとにみせるため、というよりも、
自分のためにかいてる日記みたいなものだ。
感想をここにかいているから、
ほかのところにかく必要をかんじないのかもしれない。
日記をつける目的を、どこにおくかで、
日記はずいぶんちがうものになる。
無意識のように毎日つけているだけで、
その効用についてかんがえたことがなかった。
毎日かくぐらいだから、なにか意味をかんじているのだろう、
なんだかんだいって、わたしも日記をかくのがすきなのかもしれない。

posted by カルピス at 17:52 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月25日

ヒロシさんのひとりキャンプがたのしそうだった

ステイホームのとき、
キャンプ用のコンロで料理したら
キャンプした気になって たのしかった、
とネットにのっていた。
「キャンプ」の用意をするのも、
あとかたづけも楽なので、いいあそびかもしれない。

ヒロシさんのひとりキャンプをテレビでみた。
キャンプ場へゆき、たき火をして、
その火をつかって料理している。
食材は、キャンプ場にいくとちゅうのスーパーで、
気にいったものをかっていた。
家でのキャンプごっこより、ずっとほんものっぽいけど、
ひとりでキャンプして、
なにがおもしろいのだろうとはじめはおもった。
わたしもひとりキャンプをしたことがあるし、
ともだちとふたりだったときもある。
ひとりのときは、つきあってくれるひとがいなかったからで、
だれかつれがあったほうがわたしはたのしい。
ひとりキャンプは、ご飯をたべるとあとはすることがなく、
酒をのみ、はやばやとテントにはいって
ヘッドライトのあかりで本をよむぐらいだ。

ヒロシさんは、だれかといっしょだと
自分のすきなスタイルをじゃまされてたのしくないし、
気をつかうのもいやだとはなしていた。
ヒロシさんはお酒をのまないので、
ご飯をたべるとハンモックにあがり、
まわりの景色をみながらねむりにつく。
じっさいは、なんにんかでキャンプ場にでかけ、
むこうでは、ひとりひとりが自分で料理する、という
グループでのひとりキャンプのことがおおいらしい。
さみしくないし、おしゃべりはできるし、
自分がやりたいことをじゃまするひともいないし、
ひとりキャンプのよさと、グループキャンプのよさの
両方をたのしめそうだ。
恋人以外とおなじテントですごしても、いいことはないので、
なんにんかでいくひとりキャンプはいい方法だとおもう。

ヒロシさんはテントはつかわない主義のようで、
テレビでみたときは、ハンモックとタープをくみあわせていた。
テントをはるのはそうめんどくさくないけど、
テントのなかはりっぱな部屋ともいえ、
外でねる気分をあじわいたいのなら、
テントをつかわないほうがいい。
わたしは かとうちひろさんの『野宿入門』をよみ、
かとうさんの自由さにあこがれた。
でも、行動がともなわない。
野宿をしたいといいながら、夏のあつさ、
冬のさむさが我慢できないし、蚊になやまされたくもない。
なんだかんだいっても、快適さによわいわたしは、
家でのキャンプがおにあいかもしれない。

posted by カルピス at 21:15 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする