2021年08月15日

高野秀行さんの宿泊療養むけリストにそって 新型コロナウイルス感染にそなえる

高野秀行さんの「コロナ感染の歩き方」、
第3回目は「回復した今、振り返って思うこと」。
https://note.com/henkyochannel/n/n096f9892bbfc
わりと感染者のすくない島根県にいると、
東京をはじめとする首都圏の感染状況は、
リアルなおそろしさにみちていそうだ。
でも、高野さんは、自分だけはかかるわけがない、
とおもっていたというから、コロナにたいする意識は
ひとによってずいぶんちがう。

高野さんは、ワクチンを1どうち、2回目をまっている時期に
新型コロナウイルスに感染した。
高野さんは、1どでもワクチンをうっていたからこそ
わりと軽症ですんだのでは、とかんじている。
私は発症から3週間前に妻と一緒にワクチンを1回接種している。これを「ワクチンを打っていたのに感染してしまった」ととらえる人もいるかもしれないが、私個人的には「ワクチンを1回でも打っていたからごく軽症で済んだのではないか」と感じている。
 感染した人たちの話を見聞きするかぎり、(無症状ではなく)ちゃんと発症して高熱と激しい頭痛、咳、下痢に苦しめられながらも、私ほど短期間で症状が収まった例はめったにない。たいていは1週間以上高熱が続くが、私は三日ほどで下がった。

たかい熱に3日くるしんでも「軽症」あつかいなのだから、
「軽症か無症状」と報道されていても、じっさいは
かなりくるしんでいるひとがおおいのではないか。

高野さんは宿泊療養の対象となったわけだけど、
感染に歯どめがかからない いまの東京では
自宅療養にわりふられるかもしれない。
ホテルへひっこすための荷づくりはしなくていいけど、
自宅でやすんでいるあいだ、きゅうな病状の変化がおきても
入院や往診といった治療にはつながりにくいようだ。
家でモンモンと病気への恐怖にふるえるより、
医療機関の目がとどいている宿泊療養のほうが、
まだましなようにおもえる。

高野さんがせっかく「コロナ感染の歩き方」をかいてくれたのだから、
よんだものとしては それなりの準備をしておきたいとおもった。
「宿泊療養持ち物リスト」を参考に、
https://note.com/henkyochannel/n/n2d8dd7490387
100均とドラッグストアへかいものにでかけた。
100均では、お皿・ナイフ・フォーク・さじをもとめる。
ホテルには紙コップしかないそうなので、
プラスチックのコップもかった。
紅茶やコーヒーを、自分のコップでたのしめるだろう。
ドラッグストアでは、体温計とバファリン(80錠)をかった。
せきどめに「ルル」を高野さんはすすめているけど、
わたしはまだ「ルル」をのんだことがなく、
値段もけっこうするので、ま、いいか、ということにした。

西暦2000年をむかえるとき、デジタル製品が暴走をはじめるのでは、と
うわさされたことがある。流通がとまったときのために、
3日分くらいの水・食料を準備したほうがいい、というはなしで、
わたしはスーパーへかいものにはしった。
災害にそなえてのかいものもすきで、
水や袋麺、それにスパゲティなどをかったこともある。
こんかいは、まだ身ぢかにせまったわけではない
新型コロナウイルス感染での 宿泊にむけた準備なので、
あいかわらずあそび感覚のかいものだ。
いろいろかってみると、ピクニックへいくみたいでもあり、
それらがぜんぶそろっている家でのくらしが
いかに快適かも再確認したところだ。
家にいて、すきなものをすきなようにたべ、
本をよみ、音楽をきくいまの生活は、
入院や宿泊療養にくらべたら天国みたいなものだ。
宿泊療養への準備はひとまずととのったけど、
このままなにごともなく家ですごしたい。

posted by カルピス at 21:10 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月13日

お酒の再開がいよいよ秒よみ開始

禁酒は9月4日までときめている。あと20日ほどだ。
ながいといえばながいけど、もうすこしともおもえる。
これまでノンアルコール飲料の手だすけで、
あまり禁欲感なしにつづけられたけど、
いよいよ酒をのみだすときのことをかんがえると、
それはそれでたのしみだ。
すこしはやいけど、きょうは解禁への準備として、
イオンの白ワイン(プダ・680円)と、
ジントニックをつくるときのために炭酸水をかった。
ジンはすでに冷凍庫でひやされているし、
赤ワイン5本、ウィスキー(バランタイン)と
芋焼酎(黒霧島)も出番をまっている。

きょうのデイリーポータルZには、
地主さんによる
「ノンアルコールハイボールで焼酎を割ると美味しい」
https://dailyportalz.jp/kiji/zero-alcoholic-highball-is-the-best
という、ちょっとわけがわかりにくい記事がのった。
地主さんによると、焼酎をハイボールでわると、
とんでもなくまずいのみものになるけど、
ノンアルコールのハイボール(以下、ノンアルハイ)だと、
「恐ろしく美味しい」らしい。
地主さんの発見は、焼酎だけでなく、なんとソフトドリンク
(コーラ・コーヒー・特茶)でも、ノンアルハイは万能だという。
だからといって、コーラをノンアルハイでわろうとはおもわないけど。

酒を再開したときにやってみたいのは、
おなじくデイリーポータルZにのった
「果汁100%ジュースと発泡酒で作る
『なんちゃってクラフトビール』」だ。
https://dailyportalz.jp/kiji/nanchatte-craft-beer
あとは単純に、ジン・トニックとウィスキーのロック。
それに白ワインが夏の夜をたのしくしてくれる。
もうひとつ、低アルコールビールとして
ビアリーをためしたい。0.5%のアルコールって、
どんなよいをもたらしてくれるのか。
先週までめちゃくちゃあつい日がつづいていたのに、
台風9号がきてから不安定な気圧配置となり、
きょうなどは気温が26℃しかなかった。
これではひえたジン・トニックのよさがいきないかもしれない。

なぜお酒をのみはじめるのが9月4日なのかというと、
この日がブロクをかきはじめて10年目にあたるからだ。
たまたまことしの5月下旬から酒をやめており、
再開するのに ちょうどいいきっかけのような気がする。
ブログをかかなくていいとなれば、はやくからお酒をのめるし、
ほかにもいろいろできそうだ(筋トレや外国語の勉強)。
そんなに9月4日をたのしみにするくらいなら、
10年連続にこだわらず、さっさとブログをやめればよさそうだけど、
よくいわれるように、やめるのは決断であり、
継続はただの惰性にすぎない。
つづけるより、やめるほうがむつかしいこともある。
お酒以外では、MacBook Airをかうつもりだ。
3年まえに、いまメインでつかっている
MacBook Air13インチをかっており、
まだもうすこしこのままひっぱれそうだけど、
これもまた10年連続のおめでとうかいものとして
まえから予定にいれていた。
なんだかんだと9月4日をこころまちにしており、
そうなると、なかなか日がすぎていかない。
あと1ヶ月になってからが あんがいながく、
ブログも、とにかくつづければいいでしょ!
みたいな、内容のない記事がおおくなっている。
それもまた、そのときのわたしの心理状態だから、
これでいいのだ、とわりきって、
とにかく、なんとかブログ10年目をむかえたい、
というのが赤裸々なわたしの心境だ。

posted by カルピス at 20:52 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月05日

高野秀行さんがコロナ体験を公開

辺境作家の高野秀行さんが、ご自身のコロナ体験を公開している。
「その1」には、体調異変からPCR検査、陽性確認・自宅療養まで
がまとめられている。
https://note.com/henkyochannel/n/n8d03fbf5d344
新型コロナウイルスに感染すると、
まわりにしられないよう、かくしたくなりそうだけど、
高野さんは「お役に立てば幸い」とあえて公開にふみきった。
コロナ感染を公表するとあちこちから連絡が来て対応がしんどいと思うかもしれないが、私のところへはいくらもなかった。お見舞いメールやメッセージをくれた人も「返信はいりません」と書いていてくれた。多くの人は常識的なのである。
 あらためて「感染公開(情報共有)は感染者と家族を助ける」と思う。

これだけ感染がひろがったのだから、
どういうふうに対応すればいいか、
マニュアルができていそうなものなのに、あいかわらず
その場にならなければ、ひとはうごきをとれないようだ。
自分が陽性にならないかぎり、いつまでもひとごとであり、
なかなか具体的なうごきにつながらない。
それだけに、高野さんが7月21日に発症してから、
自宅療養を体験し、回復までこぎつけたながれを
こまかく記録したこのレポートは、貴重なデーターとなる。

せんじつ日本政府は軽症や中程度の症状の感染者は、
自宅療養を基本とする、と発表した。
安全・安心の五輪、なんていいながら、
感染者がふえると、入院できません、だなんて、
まったくひどいはなしだ。
あれだけ五輪をひらく状況ではない、といわれながら、
のらりくらりと時間かせぎをして、
既成事実のようにひらいたわけだから、
その責任を、政府・東京都はおわなくてはならない。
東京はいちにちに5000人をこえる感染者をだしており、
入院できないひとがおおくなりそうなので、
高野さんの体験は、タイムリーなマニュアルとなる。

「教訓と感想」には、
感染がふえている時期はリスクがよりたかくなる、とかかれている。
 保健所と保健福祉局の対応はひじょうにきちんとしている。連携もよくとれている。ただし、前にも述べたように、感染者が激増すると対応が追いつかなくなる可能性が大。つまり、感染拡大期に感染するのは、非拡大期に感染するより二倍、三倍のリスクがあるということだ。

いまの首都圏がまさにそれで、病院にうけいれる余力はすでになく、
政府としては、自宅で療養させたい。
しかし、自宅療養では重症化したときに対応がとりにくく、
家で安心してゆっくりやすむ、とのんきにかまえてはおれない。
国民の命より、五輪を優先したあげくが、
自宅療養へのきりかえであり、責任の放棄でしかない。
わたしのむすこ、そして姉一家が東京でくらしており、
いちにちに5000人をこえる感染者ときくと胸がいたむ。
これまでの累計が700人台の島根県とちがい、
感染のリスクがあまりにもたかい。
無責任な政府の対応すべてにいかりがわいてくる。

posted by カルピス at 22:09 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月03日

マスクをつけてないひとがすき

クッキー班でつくったプリンをもって、近所の会社をたずねたら、
職員の方がマスクをつけてなくて いいかんじだった。
その会社は、消毒などをあつかっており、
本来なら、会社をあげて感染予防につとめそうなところなのに。
対応にあらわれた2人の職員とも マスクをしておらず、
わたしたちをみて、あ、そういえば、
というかんじで マスクをつけようとして、
でも、やっぱりやめとこ、と マスクをまたしまわれた。
マスクをしたところで どうにかなるわけでもない、
と達観しているような現実路線に好感をもった。

ほかにも、マスクをつけずに事務仕事をしていて、
わたしたちのような外部の人間がおとずれたときだけ、
あわててマスクをつける会社がポツリポツリとある。
マスクがきらいなひとがトップをつとめているのだろうか。
右へならへ、と、ただほかの会社をまねしているのではなく、
たいして効果がないのなら、うちはやめておこうか、という
健全な精神をかんじる。自分のあたまでかんがえられる会社だ。

おおくのひとがマスクをつけるなか、
交差点で信号がかわるのをまってる女性が
マスクをしてないのに気づいた。
つけるのをわすれたのではなく、
確信的につけないひとなのだろう。
マスクをしていないと、3割がた美人にみえる。

宍道湖岸をはしっていたら、
こっちをみてなにやらブツブツいってるひとがいる。
「え?なんですか?」とちかづいてはなしをきこうとすると、
わーマスクもしないで
こっちにくるんじゃないよ、このアホが、
みたいなことをいわれた。
いってる本人は、納豆をたべているためか、
マスクをしていない。
納豆は、免疫力をあげるためだろうか。
こういうひとが、ついにあらわれたか、
といやなかんじをもつ。

ちいさな子どもはマスクをしていないからすきだ。
中高生も、マスクがうっとおしいのだろう、
アゴにマスクをひっかけてるだけのひとがおおい。
いまや、マスクをしないのは、子どもか、
10代のわかものくらいだ。

日本人は、もともとマスクがすきなうえに、
新型コロナウイルスの感染予防という大義名分があるためか、
そとをあるくときも、おおくのひとがマスクをつけている。
散歩のときくらい、ましてや夏は息がくるしいから、
マスクなしであるけばいいのに、おとなたちはマスクがすきだ。
親がマスクをすれば、子どもだってマスクをつけたがる。
このままでは、マスクが完全なデフォルトになりそうで心配だ。

posted by カルピス at 21:38 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月28日

ゴンチチの会話は「そーですねー」とまずはうけるのが基本形

ゴンチチの「世界の快適音楽セレクション」(NHK-FM)は、
ながされる曲だけでなく、おふたりのとぼけたやりとりに
妙な魅力がある番組だ。
いろいろな曲をかけ、それについて、
まずはおたがいに感想をのべるのだけど、
たいていの場合、いっぽうが演奏や歌声をべたぼめし、
あいかたは、それについて「そーですねー」と
こころからの同意ではない いいかたでかえす。
「そーですねー」が絶妙な「うけ」であることに、さいきん気づいた。
けして、まっこうからあいての意見を否定することはなく、
なにか歯にいちまいありそうな「そーですねー」だけど、
「そーですねー」といいながら、
あいての感想のうえに、自分のイメージをのせていく。
ほんとうは、おたがいに ちがうおもいでいるようなのに、
「そーですねー」とまずはうけいれることで、
なんとなく会話が成立し、「おもしろかったですね」
「よかったです」と いいところにおさまっていく。

おふたりの会話をきいていると、いかにも日本人的なやりとりで、
相手の発言を否定せずに、自分の感想をちゃんとつたえている。
ほんとうはビミョーにかんがえがずれていても、対立することはなく、
なんだかんだで、はなしがまるくおさまっていく。
達人どおしの会話だからうまくいく、というのもあるけど、
日本人のやりとりって、こんなかんじで、あいてをたてながら
着陸地点をさぐりあうのが むいているのでは、とおもった。
欧米人がやるディベートのように、
あいてを論破するのが目的のやりとりではなく、
おたがいにカドがたたない関係をたもちつつ、
ちゃんと自分のつたえたいことは くちにしている。
「そーですねー」と、まずはいったんうけとめること。
そのうえで自分の感想とすりあわせ、おとしどころをみつける。

ひとはとかく「わたしが、わたしが」と、
自分を中心にかんがえやすいのに、
おふたりのやりとりは、感想をのべつつも、
自分の意見ばかりを主張したりしない。
そこからうまれる余裕のあるやりとりが
この番組の魅力となっているのだろう。
おおくのひとが、「わたし」中心の発想につかれているのだ。
きのうの記事にかいた、スケボーの西矢さんも、
わかくしてこの境地にたっしているひとなのではないか。
西矢さんだけでなく、トップレベルのスケボーの選手たちは、
みな あらそう空気がない、というから、
そういう価値観を共有する世代が そだちつつあるのかもしれない。
自分中心からはなれたコミュニケーションが、
これからの主流になっていくとうれしい。

posted by カルピス at 21:35 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする